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法話

ありがとうの反対語

今年も最後の月を迎えました。今月は「ありがとう」の言葉について考えてみたいと思います。ある先生のお話ですが、「ありがとうの反対の言葉は何だと思いますか」と、学生さんに尋ねると、分からないとう方が多く、「有難うの反対は・・・どういたしましてかな」と、面白い答えが返ってくるそうです。
 
ありがとう、ありがたいを漢字で書くと、「有ること難し」です。ある出来事を「ありがとう」と見ている反対から見てみると、それは「あたりまえ」だそうです。皆さんはお分かりになりましたでしょうか。
 
私達は日ごろの生活を送るなかで、たくさんの事を当たり前として、過ごしてしまっています。例えば、ご飯を食べること、暖かい布団に入って寝ること。他にも、自分が今生きていることや、当たり前のように一緒に家族がいることなど、すべてが当たり前で、特別な事とは、なかなか思うことが出来なくなってしまっているのではないでしょうか。
 
有難いといただく心が起るのは、それが当たり前ではないことに気付くことがなければ、決して起こることのない心なのです。しかしながら、悲しいことに私達人間は、当たり前と思っていることが、当たり前ででなくなるまで、なかなか気づくことが出来ないのかもしれません。
 
以前、奥様を亡くされ、お寺に四十九日のご相談に来られた方が、「妻が生前一緒に居てくれたことは、どれだけ幸せなことであったか、今になって骨身に知らされます。感謝の言葉の一言も言ってあげられなかったことが、悔やまれて仕方ありません」と涙ながらに語っておられました。
 
当たり前と思って過ごしている人生では、幸せが当たり前となり、幸せの中に居ながら、幸せをいただく心のアンテナがだんだんと閉じてしまうのかもしれません。それは人間にとって一番不幸なことなのです。
 
ありがとうではなく、当たり前としか受け取ることができなかった自分に気づき、今自分の周りにあるたくさんの当たり前でないことを、しっかりと見つめていくことで、本当の幸せをいただけるのではないでしょうか。
 
言葉で「ありがとう」というのは簡単です。「人に親切にされたら、ありがとうと言いましょう」という、昔からの道徳も、その言葉自体が大切なのではなく、そこに当たり前でないという感謝の思いが必要であるということでしょう。
 
年の暮れにこの一年を振り返って、まったく当たり前のことなど何一つもなく、有難い日々を送らせていただいていたことを、今一度思い定め、感謝の思いで新しい年を迎えていきたいものです。     合 掌
 

あなたは何処へ向かって歩んでいますか ~報恩講~

今月は報恩講を迎えます。私たちが、お浄土へ生まれていく道を、親鸞聖人がそのご生涯をかけて、求め伝えてくださったご苦労を偲び、私たちに伝えてくださった、阿弥陀如来のお救いを喜ばせていただく、一年で一番大切なご法要です。
 
ですから、古来より、浄土真宗のご門徒の皆様は、毎年欠かさず報恩講を勤めてこられました。親鸞聖人がいてくださったからこそ、生きる喜びを与えてくださる如来様の教えに、出遭うことができたのだと、報謝の想いの中で勤めてこられたのです。皆様に、金子みすゞさんがお作りになられた『報恩講』という詩をご紹介します。
 
「報恩講」
 
「お番」の晩は雪のころ、雪はなくても闇のころ。くらい夜みちをお寺へつけば、とても大きな蝋濁と、とても大きなお火鉢で、明るい、明るい、あたたかい。大人はしっとりお話で、子供は騒いじゃ叱られる。だけど、明るくにぎやかで、友だちゃみんなよっていて、なにかしないじゃいられない。更けてお家にかへっても、なにかうれしい、ねられない。「お番」の晩は夜なかでも、からころ足駄の音がする。
 
金子みすゞさんの生誕の地、山口県長門市というところは、浄土真宗の教えが根付く、とてもご法儀のあつい地域です。その地域の方言では、報恩講を「お番」と言うそうです。
 
報恩講には大人も子供もお寺に集まり、朝までみんなでご聴聞をされ、大きな火鉢とご法話に、大人は身も心もあたたかくなる。子供は、両親や祖父母に連れられて夜道を歩き、ワクワクしながらお寺に着くと、いつもよりも大きなロウソクやたくさんの人を見て、はしゃいでは叱られている。大人も子供もそれぞれ、心温まる嬉しさに、家に帰ってもなかなか眠れない。
 
この詩の風景は、私が幼かった頃の田舎の報恩講と似ていて、なんだか懐かしさを感じる詩です。報恩講は、私達が心安らぐ温かいみ仏の教えをみんなで聴き、みんなで慶びあう、仲間の集いです。そして、お一人お一人がその教えに照らされて、自分自身の姿をもう一度省みる行事でもあるのです。
 
蓮如上人は御文章というお手紙の中で、「報恩講には、みなさんそれぞれが、親鸞聖人の御影の前で、普段の愚かな行いを悔い改め、自分自身を見つめ直してください。それこそが、報恩講の本当の意味であり、すなわち聖人のご恩に報ずるということなのです」と、おっしゃいました。
 
普段は愚痴ばかりでる愚かな私が、まさに救われていく身であったことを気付き、慶びの中にお念仏を申す身にさせていただくのが報恩講のご法縁なのです。
 
また、親しい人を亡くし,その方の為にお寺にお参りするという方もおられますが、それも良いのではないでしょうか。浄土真宗では追悼供養とは言いませんが、身近な人の死を私の導きとして、お寺で自分の命の還る場所、亡き人が還られたお浄土を聞かせていただくことも、報恩講の大切な意味であると思います。
 
親鸞聖人ご自身も、自らの命の向かう場所を探されたご生涯でした。そして、誰しもが救われる如来様の救いに出遭われ、慶びの中にお浄土の道を歩んでいかれたのです。苦しみや悲しみの連続の日々の中で、私達の命の行く末をしっかりと聞き定め、親鸞聖人が勧めてくださった本当の慶びを仏法に聞かせていただくが報恩講の集いなのです。
                                                   合 掌
 

仮の教えと真実の教え

今月のご法話は親鸞聖人のご和讃からお味わいをさせていただきます。

ねんぶつ成仏じょうぶつこれ真宗しんしゅう まんぎょう諸善しょぜんこれ仮門けもん

ごんじつしんをわかずして 自然じねん浄土じょうどをえぞしらぬ

      (高僧和讃)

 

他力念仏のはたらきによって仏にならせていただくのが浄土真宗の教えです。自らの力で、さまざまな修行やもろもろの善行を励んで仏になる事を説く教えは、仮の教えにすぎません。真実の教えと仮の教えとをわきまえる事をしないで、浄土の世界を知ることは到底出来ないでしょうと、自力の教えを往生浄土の本とするのでなく、念仏の教え、如来様のお救いにお任せすることをお勧めくださったご和讃です。

 
さて、如来様のお救いにおまかせすることをお勧めくださった親鸞聖人ですが、そのご生涯は、自力(仮門)の道を歩むことから始まりました。九歳で出家お得度されて、二十年間、比叡山で自力の修行をされました。
 
しかし、親鸞聖人は、自力の道を歩んでいても、自らの苦悩をぬぐいさることは、到底できることではないと気づかれ、法然上人を訪ねて下山されます。そこで、ご本願の他力の教えに出遇われたのです。聖人は法然上人の教えを聴き、たとえその教えが間違いであり、地獄に堕ちることがあっても、私はもともと地獄へ向かう愚かな者であるから、後悔しないとまで言われるほどでありました。
 
法然上人のもとで、真実の教えに出遇った聖人ですが、もし聖人が比叡山での自力の修行をされていなければ、はたして法然上人の教えを本当に受け入れることができたでしょうか。他力の教えとは、まず自分の愚かさを知ることが最も大切なことです。そこで、自力の教えが仮の教えであるというのは、自分一人の力では、なかなかさとりをひらくことのできない弱い存在であることを、私に知らして下さる教え、つまり他力の教えに導いてくださる教えとして意義があるのではないでしょうか。
 
さて、私は病院に行くのが大嫌いです。どなたでも一度は病院に行かれたことがあると思いますが、病院はどのような時に行くのでしょうか。のどが痛いくらいでは、私は行きません。せいぜいうがいをして終わりです。しかし、骨折したとか激痛がやまない時などは、病院に行きます。当たり前の様な話しですが、自分でなんとかなりそうな時は行きません。しかし自分ではどうしようもできない時は、病院に助けを求めます。
 
病気を自分自身の煩悩に、病院を阿弥陀如来様のお救いに置き換えてみると、自分ではなかなか病院に行こうと思わないのと同じように、今すぐ弥陀如来様のお救いにおまかせしようとは、なかなか思えないのかもしれません。その原因は、自分の苦しみは、自分で何とかできると思うのか、はたまた自分が煩悩という病気をもっていること自体を気づいていないのかもしれません。
 
親鸞聖人のご生涯とは、まず自分の苦しみは自分の中の煩悩があるからと気づき、自分ではどうしようもないものということを自力の修行によって知らされたものでした。そして、自分ではどうしようもないものと気づかれたからこそ、阿弥陀如来様の他力のお救いにおまかせされたのでした。
 
仮の教えを聖人自らのご生涯で経験され、そのうえで私たちに他力の教えをお勧めくださっているのです。必ず救うぞとお誓いくださった如来様のお心を聖人のご生涯を通して改めて聴かせていただくことでございました。

門徒物忌み知らず

今月は「門徒物忌み知らず」 という言葉について考えてみたいと思います。
 
まず、「門徒」というのは、一門の徒輩(浄土門、他力の道を歩む仲間)という意味で、阿弥陀如来様の救いを信じる、浄土真宗の信者であることを指します。ですから00寺の門徒ですといえば、浄土真宗のお寺の信者であることがわかります。ちなみに他宗では門徒とは言わず、檀家といいます。
 
次に「物忌み」とは、平安時代に陰陽道の「物忌み」が日本で盛んになった考え方で、災厄や、霊鬼から身を守るための行いのことをいいます。現代でも、特に通夜や葬儀などの仏事には、いわゆる「忌み事」として、あたりまえのように行っていることがあるのですが、多くは死や死者をケガレと見る考え方から来ています。ですが、浄土真宗では、亡くなられた方を仏さまと仰ぎ、その死をケガレとは考えません。ですから、昔から浄土真宗のご門徒の方々は、この「忌み事」を必要のないものとしてきました。そのため浄土真宗以外の方々から「門徒物忌み知らず」と呼ばれるようになりました。   
 
現在でも、初めて葬儀を出される方々は、どうしてそんなことを行うのか、意味も分からないまま行われていることの多い「忌み事」は、本当は死者を冒涜するようなものばかりなのです。
 
例えばお葬式の例ですが、葬儀の後、出棺の際に棺の蓋に石で釘を打つ「釘打ちの儀式」が行われていることがあります。これは「石には霊を封じ込める力がある」という迷信から来ており、死のケガレを石の力によって棺の中に封じ込めてしまおうとするものです。最近では、それ自体も変わってきて、金色のハンマーで釘うちをする葬儀も聞いたことがあります。「もう出てきてはいけませんよ」と、棺の蓋を固定するというのです。「帰ってきてほしい」泣きながらおっしゃっておられたご遺族が、意味も分からずに釘打ちを行う事は、あまりにも悲しく思えます。
 
また、棺を霊柩車に乗せる前にグルグルと三回ぐらい回してから乗せる地方もあります。これは、棺を回すことによって死者の目を回し、今まで住んでいた家を忘れさせるためだそうです。これも「もう帰ってきてはいけませんよ」いう意味なのでしょうが、故人を偲ぶはずのお葬式が、もう邪魔者扱いです。
 
他にも、棺の中にお金を入れる忌み事もあります。昔、六文銭を棺に入れていたなごりのようですが、六文銭を入れるというのは、三途の川の渡し賃だそうです。「せめて三途というひどい世界だけは越えてくれ」といった気持ちが六文銭という渡し賃につながったのだと思いますが、結局は渡ったら帰ってくるなという発想から来ています。
 
出棺を終えた後も忌み事は続き、今度は火葬場への道を、行きと帰りでは変えると い うこともよく聞きます。「同じ道を帰ると亡くなった者がついてくる」と言っ て、家 までの道を覚えさせないために行われているのです。何だかここまで徹底 してくると 、忌み事は故人の冒涜にとどまらず、遺族をも苦しめるようなものに 思えます。
 
 最後には、葬儀や火葬場から帰ると、家の中に入る前に塩を身体にかけるという 忌み事があります。塩にはケガレを落とす力があると神道では信じられており、葬 儀や火葬場に行くと死のケガレがつくので塩を使ってケガレを落としてから入ると いうことだそうです。神道の方は塩を使っても良いと思いますが、我々仏教徒には 必要のないことです。物忌みはこれ以外にも、方角の吉凶、家相、手相、墓相、占 い、まじない、厄払いなど、数え上げればキリがありませんが、すべて迷信俗信の たぐいです。
 
浄土真宗のご門徒の方々は、この物忌みが、親鸞聖人がお示しになられたお念仏の教えとは大きく異なるものであり、これらが死者を冒涜するものであることをよく知っていたからこそ、忌み事を行ってはこなかったのです。我々浄土真宗門徒は、この「門徒物忌み知らず」という言葉を、浄土真宗の誇りであると受け止めてまいりました。しかし、一般的には、この物忌みが今もなお、当たり前のように執り行われているのが現実です。親鸞聖人は、こうした迷信俗信に惑わされている人々を悲しまれ、すでに八百年の昔に、
 
悲かなしきかなや道俗どうぞくの 良時りょうじ・吉日きちじつえらばしめ 
 
天神てんじん地祇じぎをあがめつつ 卜占ぼくせん祭祀さいしつとめとす
 
(正像末和讃)
 
 というご和讃を作られています。意訳すれば、「悲しいことに、今時の僧侶や民衆は、何 をするにも日の良し悪しを気にしてみたり、また天の神、地の神を奉り、占いやまじない などの迷信にかかり果てている」ということです。このご和讃に説かれていることが、科 学の発達した今日でも全く違和感なく受け入れられるところに、人間の根元的な迷いは昔 も今も変わらないということを、私たちに教えてくれています。浄土真宗の門徒に限らず 、真実なる教えに出遭い、根拠のない迷信や俗信に惑わされたり不安になる必要のない人 生を歩んでまいりたいものです。          合 掌

浄土真宗のお盆のいろは

八月はお盆を迎えます。そこで、今月の法話では、浄土真宗のお盆について、よくあるご質問についてのお話です。
 
お盆は何をする行事?
 
お盆は八月十五日を中心にして行われる仏教徒の一大行事です。浄土真宗では歓喜会(かんぎえ)ともいいますが、お盆の由来は、お釈迦様のお説きなった「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」という教えがもととなっています。
 
お釈迦様のお弟子様であった目連尊者が、亡くなった母を餓鬼道という苦しみの世界から救い出すお話が説かれています。そのお話を通して、他の誰かではなく、私自身が仏法を聴き、浄土へ生まれる真実の教えに目覚めていくことが、浄土真宗のお盆の本当の意味なのです。
 
そして、尊い仏さまとなられた亡き人を偲ぶとともに、故人に導かれて我々の日常の生き方を省み、命の尊さや、欲を離れた施しの大切さを考える期間でもあります。お世話になったご先祖のために、何かをしてあげたいという気持ちは大切ですが、お盆だからお供えをして、お経を読みさえすれば、それで良いというのではありません。お盆とは亡き人が私たちに残してくださった仏縁の中で、私たち自身が命の喜びをいただく行事なのです。
 
 
お盆は七月?八月?
 
東京と地方とでは、お盆の時期に違いがあるため、関東では、よく耳にするご質問です。旧暦が使われていた江戸時代の頃は、七月十五日前後がお盆の期間とされていましが、新暦に変わった明治以降は、旧暦の七月十五日を新暦にあてはめて、八月に勤められるのが一般的になりました。  
 
ではなぜ、東京では、現在も七月にお盆が行われている地域があるかというと、一説には、江戸っ子は八月まで待てなかったからだそうです。明治政府が取り入れた新暦よりも、それまでの習慣を大切にされたのでしょう。ただ、地方に住んでいる方々にとっては、農作業の忙しい七月よりも、八月の方が都合が良かったため、全国的にお盆は新暦の八月に行われるようになったそうです。
 
ですが、「そうはいっても亡き人がもどってくる時期でないとお盆にならないのでは?いったいいつ帰ってくるのですか」という、ご質問を受けたこともあります。結論からいえば、お盆は七月でも八月でも、どちらでも問題はありません。そもそも浄土真宗では、お盆の期間に亡き方が帰ってくるという考え方をいたしません。というより、すでに帰ってきて、いつでもそばにいてくださるといただきます。ですから,決して私たちのカレンダーの都合でお盆の時期ということではなく、「いつでも、どこでも」なのです。何月にお盆をするかより、私たちがその心強さをいただくことが出来ているかどうかが、何より肝心なのです。
 
 
仏壇のお飾りの仕方は?
 
やはり、お盆で気にかかるのはお仏壇の荘巌(お飾り)です。「お盆のお飾りはどうしたらいいでしょうか」、「ナスやキュウリは必要ですか」、「やっぱり盆提灯くらいは置いた方がいいのでしょうか」など、毎年といっていいほど、この時期になるといただくご質問です。
 
各地の風習もざまざまで、迷ってしまう方も多いかもしれませんが、浄土真宗ではお盆に特別な荘厳はありません。お盆独特のお仏壇の荘厳がないということが浄土真宗の特色ともいえるでしょう。
 
そもそもお仏壇とは、先祖をおまつりするものではなく、阿弥陀如来様をご本尊として安置するところです。私たちは、阿弥陀様によって救われていくのであり、今は亡き方を救われたのも、他ならぬ阿弥陀様です。亡き方を偲ぶ中で、阿弥陀様のみ教えに出遇ったならば、亡き方が今生の命にかえて伝え残してくださったのは、私目身を救って下さる阿弥陀様のみ教えであると、いただくことが出来るのです。
 
そして、その教えに遇わせて下さった亡き方のご恩を思う。それが浄土真宗のお盆なのです。ですから、お盆だからといって、特別なものを用意する必要もなければ、お飾りの心配する必要もないのです。
 
「浄土真宗は楽でいいですね」とおっしゃる方もおられますが、とんでもない。他宗よりも大変です。いつでもどこでも仏となって、帰ってきて下さっているのですから、毎日がお盆といってもいいのです(笑)
 
                    合   掌

如来様から賜る長寿のご利益

 

南無なも阿弥陀仏あみだぶつをとなふれば   このやくきはもなし

流転るてん輪廻りんねのつみきえて    定業じょうごう中夭ちゅうようのぞこりぬ  (浄土和讃)

今月は、親鸞聖人がこの世のご利益を詠まれたご和讃を味わってみたいと思います。

 
このご和讃は、阿弥陀如来様のご本願を信じ、お念仏の人生を歩む中で、この世において限りないご利益をいただくと讃えられ、その中でも特に定業中夭がのぞかれるというものです。
 
定業とは生まれつき決まっている寿命をいい、中夭とは寿命半ばで亡くなることをいいます。ではこの定業中夭がのぞかれるとはいったいどういうことでしょうか。
 
まず、人間の寿命を考える時、一体何歳が寿命であり、何歳までが寿命半ばなのでしょうか。五十歳で亡くなっても寿命であったと考えられますし、八十歳で亡くなっても中夭であるとも考えられます。
 
そもそも人間の死に、寿命や寿命半ばなどを考えること自体、本当は無意味なことなのかもしれません。親鸞聖人が「定業中夭のぞこりぬ」とおっしゃったのは、寿命を尽くすとか、途中で死ぬとかいう命に縛られないことが、この世のご利益であるとおっしゃっているのです。
 
一般的に、長生きすることは素晴らしいことであるように思われ、いつも長生きしたいと思って生きているのが私たち人間です。しかし、ただ長生きするこが、本当に人間にとって幸せなことなのでしょうか。
 
昔、百歳の双子の“きんさん、ぎんさん”という方がおられましたが、百歳のお誕生日の感想を聞かれた時に「うれしいような、悲しいような」とお答になりました。この年の語録賞を受賞した言葉ですが、この言葉こそ本当のところではないでしょうか。
 
周りの人はめでたいめでたいと言うけれども、百歳になって体もいうことをきかなくなり、誰かに支えてもらわなければ生きていけなくなってくる。長生きすればするほど、親も子も、孫までも見送っていかなければならないような、悲しみに出遭うことにもなるのです。ただただ長生きすることが本当の幸せとは、とても言えません。
 
親鸞聖人がいただかれた命の喜びとは、阿弥陀如来様のご本願により、私の命の帰る場所が、もうすでに用意されていることに気付いていくことです。今生の命が尽きる時には、今度は仏として生まれさせていただけるのです。
 
死んで終わりでない命を生きている私であったと、大きな安心の中に生きる人生こそ、本当の幸せな人生であると言われているのです。
 
ですから、ことさら長寿を願う必要もなければ、短命を恐れる必要もありません。生きて良し、死んで良し、どんな死に方になっても良しと、生死に縛られない人生に目覚めていく、そんな如来様から賜る長寿のご利益を「定業中夭のぞこりぬ」と親鸞聖人はお示しくださったのです。     合 掌

他力本願ってどういう意味?

今月の法話では、「他力本願」について考 えてみたいと思います。一般的には「他人の力をあてにする」という意味で捉えられることの多い言葉ですが、本来仏教用語である「他力本願」とは、どういう意味でしょうか。まず、浄土真宗本願寺派親鸞聖人鑚仰会総連盟のリーフレットの中から「家族の会話」をご紹介します。
 
(家族の会話)
めぐちゃん 「ねえ、ねえ、お父さん。他力本願ってなあに?」
 
父さん   「なんだ、難しいことを聞くなぁ。そんなこと、他人まかせにしないで、自分で調べなさい」
 
めぐちゃん 「あっ、あった。他人の力をあてにすること…」
 
父さん   「そっ、そうだよ。他人まかせにすることを、他力本願っていうんだ。 世の中、何でも自分で
       努力しなくっちゃ。他人の力をあてにするなんてダメだ!」 
 
めぐちゃん 「でも、もう一つ意味があるよ。仏さまの力…って」
 
父さん   「ああ、そんなこともいうなぁ。おまえも受験するときは、ちゃんと合格祈願にいかないとなぁ。
      実をいうとお父さんも、宝くじを仏壇にお供えしてるんだ」
 
めぐちゃん  「それって他人まかせじゃないの」
 
 じいちゃん  「おいおい、おまえさんたち、願い、願いって、自分たちの願いのことかい。
       他力本願っていうのは仏さまからの願いなんじゃよ」
 
めぐちゃん 「ええっ、仏さまの願い?」
 
じいちゃん 「そうじゃよ、仏さまはすべての人を必ず救いたいと、願われているんじゃよ」
 
めぐちゃん 「すべての人って、私のことも?」
 
じいちゃん 「そうじゃよ。おまえのことじゃよ。迷っている人を必ず救うというのが仏さまの願いなんじゃよ」
 
めぐちゃん 「ふ~ん。でも、私、迷ってなんかないわよ。迷いってなあに?」
 
じいちゃん 「ワシらの願いは、かなわなくても、かなってもキリがないんじゃ。それを迷いというんじゃよ」
 
めぐちゃん 「へ~ぇ、お父さんはどう思う?」
 
父さん   「そうだなぁ、願いにキリがないっていうのは分かる気もするけど、自分ではなかなか気がつか
      ないよな。なあ、母さん」
 
母さん   「そうねぇ、でも、気がつかないっていえば、朝日が差し込んでいるところだけにホコリが
       舞っていてビックリすることがあるでしょ。何もないと思っていても、光に照らされて初めて
      見えてくる、迷いってそういうものじゃないかしら」
 
めぐちゃん 「私、いつもお掃除してるモン」
 
じいちゃん 「ハハハ、掃除のことじゃないよ。仏さまの願いに照らされて、ホコリだらけの自分に
       気づかされるんじゃよ」
 
めぐちゃん 「ホコリを照らす光かぁ」
 
 この家族の会話を皆さんはどんな風に感じられましたか。「他力本願」は「利他力」とも言いますが、自らの利益を求めるものではなく、他の者を思い、他の者の幸せを自らの幸せとするハタラキをいいます。
 
つまり、私から他の者への願いではなく、私に向けられた、阿弥陀如来様の慈悲のお心を指すのです。 人間として生きている限り、止むことのない欲望や、尽きることのない苦しみや悲しみを持ち続けている私たちです。
 
だからこそ、「そんなあなたの苦悩を取り除きたい、いつでもあなたと共にあるのですよ。安心して生きなさい」と、私たちが阿弥陀如来様から願われているのです。
 
そして、その願いの中に、目先の地位や名誉や財産に執着し、自ら苦しみを作り続けている自分であったことを知らされるのです。苦悩の根源が私自身にあったこと、どうしようもない私であることを、見抜いてくださったからこその救いであることに気付かせていただく時、その罪をまるごと包みこんでくださる如来様のお徳の広大さを知るのです。
 
そこに、お恥ずかしい私であった、如来様に申し訳がないという思いの中にも、決して私を見捨てないという願いに、本当の心強さと感謝の気持ちをいただけるのです。          合  掌

苦しみからの導き ~善知識~

 さいわいに有縁うえん知識ちしきらずば、いかでか一門いちもんることをんや。まったけん覚悟かくごって他力たりき宗旨しゅうしみだることなかれ  (歎異抄・序)

歎異抄の中の一文ですが、著者である唯円様が、私達がお浄土へ向かう他力念仏の道は「有縁の知識」によるものであって、「自見の覚悟」であってはならない。といわれました。

 
有縁の知識とは我々が仏法に出遇う縁となる師や友のことをいいます。善知識ともいいますが、他力のお念仏の道はその善知識(ぜんじしき)によるものであって、自見の覚悟であってはならないと言われています。つまり自分の勝手な判断や理解ではなく、本当の導きによって心の幸せをいただきなさいと示されているのです.
 
平安中期の歌人の和泉式部が、こんな歌を残しています。
 
この世をば、 あだにはかなき  世と知れと 
 教えてくれた 子は知識なり 
 
情熱的な人生を送った女流歌人であり、恋多き女性としても知られる和泉式部は、四十七歳の時、最愛の娘であった小式部を病で失います。
 
愛娘との別れという深い悲しみの中で、苦悩の毎日を送っていたある時、ふと頭をよぎったのは、「こんなに私を苦しめ、辛い思いの中に閉じこめているのは、私をおいて小式部が死んだからだ。亡くなった娘のためにこんなに苦しい日々を送らねばならない。私を苦しめているのは娘ではないか」と、愛して止まなかった娘を、いつしかかえって恨みに思う自分を見出し、人間の心の恐ろしさを思ったそうです。
 
そんな中、仏の教えに出遇い、死んだ娘が私を苦しめているのではなく、娘の死という無常の道理を引き受けることができず、娘に対する断ちがたい執着心こそが、私を苦しめているのだと気付かされ、詠んだ歌がこの歌だということです。
 
辛く苦しい事は、思い出したくありませんし、無かったことにしたいものです。しかし、その辛く苦しいことも、私自身のまぎれもない事実なのです。しかし、ただ事実であることを思っても全く苦悩は解決されません。その苦悩の中に、私への導きがあることに気付かせていただくことによって、本当の幸せや苦しみの解決があると仏法には説かれているのです。
 
できれば会いたくなかった事柄も、一切すべてが私への導きであると、拝んで頂けるようになる仏の道があることを、人やさまざまな縁が教えてくださるのです。それを善知識、有縁の知識といいます。
 
私を苦しめ悩ませる元としか思えなかった亡き娘は、私を仏の智慧に導いてくれた縁であったと気付かされ、善知識として見出すことができるようになったわけです。
 
悲しみの中にも亡き方を仏のはたらきとして、私の導きとして知らされる時、本当の感謝と幸せをいただけるのです。不幸というのは、別れの悲しみや病の苦

お釈迦様の誕生日 ~花まつり

今から約二六〇〇年前の四月八日に北インドのルンビニーの花園でお釈迦様がご誕生されました。仏教では「花まつり」や「灌仏会(かんぶつえ)」ともいい、お釈迦様のご誕生をお祝いする日です。
 
お釈迦様の母親マーヤ夫人は出産のために生家に向かう途中、ルンビニーの花園に立ち寄り、美しい無憂華(あそか)の華に手を伸ばされました。その時に右の脇腹からお釈迦様がお生まれになったと伝えられています。
 
そしてお釈迦様はお生まれになるとすぐに、東西南北に向かってそれぞれ7歩あゆまれ、右手で天を指し、左手で地を指して、「天上天下唯我独尊」とおっしゃったそうです。このとき、天の神々は花びらを散らし、八大竜王は甘露の雨を降らせて祝福したと記されています。
 
さて、この「天上天下唯我独尊」とおっしゃった言葉の意味を簡単にいうと「生きとし生けるものすべての命はそれぞれがとても尊い命である」という意味です。間違っても、「世の中で私が一番尊い、私が一番偉いのだ」という意味ではありません。
 
私たちはとても大きな命のつながりの中で生きています。ご先祖様の誰一人が欠けても私はここに存在していません。また、私が生きているということは、たくさんの人々によって生かされていることでもあります。顔も名前も知らないような人であってもそうです。動物もそうです。
 
もちろん、自分自身も自分の為に生きているように思っていても、生きるということは、他のために生きているということでもあるのです。それぞれの命がお互いに、生かし生かされあい生きているのです。
 
「天上天下、唯我独尊」とは命の尊厳を讃える言葉であり、すべての命は、皆共にいきていることを讃え喜ぶ言葉でもあります。そして花まつりは、お釈迦様のご誕生をお祝いし、そのご縁の中で、この世に生を受けた素晴らしさや、命の尊さ、生きとし生けるものすべてに生かされていることに、あらためて気付かせていただく法縁なのです。
 
人間の命の尊さを説かれた、お釈迦様に、こんな物語があります。ガンジス川のほとりを弟子の阿難尊者と共にあるいておられた時に「阿難よ、ガンジス河の砂を掌にとってごらん。ガンジス河の砂と、掌の砂とどちらが多いかね」とお尋ねになりました。
 
阿難尊者は「もちろんガンジス河の砂は数え切れないほどありますが、私の掌の中の砂はほんのわずかなものです」と答えると、お釈迦様は「その通りだ、この地球上にはガンジス河の砂ほどの生き物がいるが、その生き物の中で、人間として命をいただくのは、お前の掌の上に乗ったくらいのものなのだよ。」とおっしゃいました。
 
そして「阿難よ、お前の爪の上の砂と掌の砂はどちらが多いか」とまた、尋ねられました。阿難尊者が、「爪の上の砂はほんの僅かなものです」と答えると、お釈迦様は「人間に生まれたものは掌の砂の数と言ったけれど、その中で人間に生まれたことの本当の値打ちに目覚めた者は、爪の上に乗ったくらいのものなのです。お前の聞いている仏の教えとはそのようなものなのだ」とお喩えになったそうです。
 
つまり、今の私たちは、受けがたい人身をいただき、遇い難い仏法に今、出遇わせていただいていることを説かれたのでした。
 
花まつりのご縁で、よくよく仏法に、私の命のあり方を聞かせていただきたいと思います。
 
             合 掌

苦しみや悲しみが、知らせてくださる教え

今月は鈴木章子(すずきあやこ)さんという、お念仏を喜ばれた方をご紹介します。以前にもご紹介させていただいたことがありますが、北海道のお寺の坊守さんです。この方は四十九歳の若さで乳癌を患い、旦那さんと四人の子どもさんを残してお亡くなりになりました。
ご生前、鈴木章子さんは、「私は癌をいただいたおかげで、仏法に出遭わせていただいた。癌にでもなって自分の命を真剣に考えることがなければ、私は一生気付かずに終わってしまったかもしれないけれども、今は、自分の命の帰る場所があることを仏法に聴かせていただくことができた。」と涙ながらに話しておられたそうです。
 
まず、寝たきりのベッドの上で気づいたことは、財産も肩書きも、旦那様も子供も、皆持ち物にすぎないという事だったそうです。いざというときは全部置いてゆかねばならないものばかり。そんなものに目がくらむと、得たといって酔っ払い、失ったといって死にたくなるほどに嘆き悲しんでいる私たち。これさえ手に入れば最高に幸せと思い込んでいたものが、いかに中途半端なものであったか、自らの癌によって気付いていかれたのでした。
 
そんな鈴木章子さんが、お亡くなりになる二ヶ月ほど前、自宅で静養されている時のことでした。旦那様が「夜、知らないでいるうちにお前が息をひきとったら困るから、同じ部屋で寝る」という言葉に対し、章子さんは、「あなたが同じ部屋で寝てくださっても、いざというとき一緒に死んでいただくこともできないし、代わって死んでいただくこともできません。一人でいても二人でいても同じこと。それよりお父さん、子ども達のためにも、体を休めてほしいから、二階と一階で別れて寝ましょう」とおっしゃったそうです。その時に鈴木章子さんが詠まれた、「おやすみなさい」という詩をご紹介します。
 
『おやすみなさい』
 
「お父さんありがとう。また明日会えるといいね」と手を振る。
テレビを観ている顔をこちらに向けて
「おかあさんありがとう。また明日会えるといいね」と手を振ってくれる。
今日一日の充分が胸いっぱいにあふれてくる。
 
この詩の「お父さんありがとう」の一言の中には二十年余りの夫婦として共に歩むことが出来たことへの感謝の想いがあるのでしょう。しかし、「また明日会えるといいね」と、切なる思いで願ってみても、間違いなく明日を迎えることが出来るという生命の保証が無いのです。
 
今夜お迎えが来るのかも知れないという中で、永遠の別れの思いをこめて「おやすみなさい」と言葉を交わして、二階と一階に別れて眠りにつくのです。幸い朝が迎えることが出来た時には、「お父さん、会えてよかったね」「お母さん、会えてよかったね」と心おどる思いで挨拶を交わされたそうです。
 
鈴木章子さんは、「四十六年の人生で、こんな挨拶を一度だってしたことが無かった。健康にまかせて、忙しい毎日の中で、うわの空の挨拶しかしてこなかった。私は癌をいただいたお陰で、今は一度一度の挨拶も、恋人のように胸おどらせて挨拶ができるようになった」と喜びの中で語っておられました。
 
人生には喜びも悲しみも、愛も憎しみも成功も失敗も、健康も病気も、同じようにとりそろえてくれているのです。むしろ思うようになることばかりの人生では、幸せが当たり前となり、幸せを幸せといただくアンテナが無くなってしまうのです。そして、それは人間にとって一番不幸なことなのかもしれません。思うようにならない人生や、悲しみや苦しみによってこそ、私の聞く耳が開け、人生を大きく変えてゆくことができるのです。  
 
「悲しいことであった、苦しいことであった、お恥ずかしいことであった、しかし、これがあったからこそ、お念仏にあわせていただいた。お浄土へ生まれていく道に出会えた」と、一切すべての事柄を拝む心に恵まれたとき、災難にあってもよし、死んでもよし、生きてよし、いいことができてよし、できなくてもよし、何が起きようが、阿弥陀様と一緒に生きて、共にお浄土へ生まれていくのだと、大きな安心をいただくことができるのです。
 
最後にもう一つ、鈴木章子さんが、家族に残された詩をご紹介します。
 
死の別離の悲しみの向こうに 大いなるふる里の灯りが見える
慎介、啓介、大介、真弥、あなた この灯りをめざして歩んで欲しい
あなた・・・ 私の還ったふる里 子供達に教えてあげて
 
どんなにすばらしい浄土に帰ることができたとしても、人として別離の悲しみを消すことはできません。しかし、その悲しみ中にありながらも、鈴木章子さんは、「たとえ人間としての命を終えても、今度は仏としての命に生まれていくのです。命の帰るふるさとがあるのですよ。そのことを忘れずに如来さまの光を目指して人生をあゆんでほしい」とおっしゃっているのです。
 
浄土真宗の教えを聞かせていただくものにとって、死は命の終わりではないのです。だからこそ残されたものに「どうか、あなた達も別れの悲しみが、私のように喜びになってほしい」と同じ念仏の道を、死んで終わりでない道を歩んでほしいと願っておられる詩でありました。
 
          合 掌
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