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立徳寺だより

春の夜や同窓会の帰り道

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先日、小中学校時代の同級生のお通夜に参列しました。私の年齢になると、同級生が亡くなることも、少しずつ多くなってきました。
 亡くなった友人とは、数年前に同窓会で再会し、それから一度も会うことはありませんでした。「じゃあまたね」と次にすぐ会えるつもりで別れたのですが、それから同窓会は途絶えていたのです。
 お通夜では、以前一緒に同窓会をしていた友人たちと会いました。すると、開口一番、「やっぱり同窓会やらないとだめだね」と誰かが言い出しました。やはり皆思ったことは同じだったようです。
 私達は、いずれ必ず死んでしまうから、生きているうちに、もっと友人たちとたくさん人生を語り合いたい。小中学生から、この何十年と付き合えた縁を喜び合いたいのです。 
 でも実は私、若い頃は大の同窓会嫌いでした。「過去など振り返っていられない」という気持ちで、一度も参加したことが無かったのです。そんな私の心情の変化はやはり年齢を重ねたことにあるのでしょう。そんな自分を少しおかしく思いながら、次回の同窓会は先日亡くなった友人の思い出話に花を咲かせるつもりです。
 

 

いずれ来るはずでありたる春を待つ

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この冬は暖冬にすっかり慣れていたのに、いつの間にか平年並みの気温になっています。あまりにも寒い。というより寒く感じるのです。冬だから当たり前なのに、出だしの暖冬が私をダメにしたのです。
 と、冬の愚痴はこれくらいにしまして。本当のところ冬はむしろ過ごしやすい季節なのです。私が一番恐れているのは、冬が明ける頃、春の始まりです。そうスギ花粉の季節です。先日、朝から鼻水がとめどなく流れ出る日がありました。我慢できずに、アレルギーの薬を飲み、点鼻薬の強力なものをしましたが、効き目はまったくありませんでした。まだ一月だというのに、この状況。いったい私はこの先どうなってしまうのでしょうか・・・。そう思うと、大変暗い気持ちになってしまいました。ですが、その鼻水も三日ぐらいしたら何事もなかったようになくなりました。あれはただの風邪だったのか、それともやはりアレルギーの始まりだったのかわかりません。それにしても、春を迎えるにはこの大きなハードルであるアレルギー症状を超えなくてはなりません。私にとって春は果てしなく遠いものなのです。冬はまだ平和な季節。実はいつまでも続いてくれてかまわないと思っています。でも私の気持ちなど関係なく、春は着々と近づいてきているのです。

 

日常の中にありたる炬燵かな

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大晦日の夜、こたつで家族そろって年越しそばを食べました。「今年も色々あったね」などという、よくある話でもしながら・・・と思っていたのに、なぜか会話が弾みません。私の作った蕎麦(スーパーのセールで買った冷凍そば)がまずかったのか、どうも皆、はしが進まないのです。結局、全員半分くらい残してしまいました。こうなると主婦は機嫌が悪くなってきます。「まったくそもそも何で私だけが家事をしなければいけないのか」という深い事を考えだします。そのようにモヤモヤしていると、主人が体温計を持ち出し、「熱がある」と騒ぎ出しました。続いて娘が「気持ち悪い」と言い出し、大騒ぎ。それぞれに薬をみつくろったり、やっとのことで寝かしつけました。どうやら二人とも、風邪で食欲がなかったもよう。それから数日は息子と二人だったので、リビングもこたつも広く感じられました。「誰かが足を伸ばし過ぎる」などというこたつ特有の喧嘩もありませんでした。しばらくすると二人とも元気になり、起き出してきました。空いていたこたつがあっという間にぎゅうぎゅうになりました。そしてまた日常がはじまります。
 

 

冬の日や和室におもちゃ広げたる

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昨日私宛に大きな荷物が届きました。依頼主を見ると、ある会社の懸賞係でした。久しぶりに大物が当選したようです。
 私の趣味の一つに懸賞応募があります。小学生の頃から暇があれば、テレビや雑誌にハガキを出していました。テレビの場合は、やはり競争率が高いのですが、小学生だったある日、テレビを見ていると、当選者発表のコーナーで自分の名前が出ていて、本当に驚きました。でも、驚いた割りに、当たったものは小さな絵本でした。それから何十年と懸賞に応募し続けています。当たることもありますが、もちろん外れることの方がずっと多いです。
 さて、今回当選したものは、息子のために応募した、電車と車のおもちゃセット。だいたい男のお子さんがいるお宅ではよく見かけるおもちゃですが、うちでは買ったことがありませんでした。高価で、とても場所をとるし、一つ買うとシリーズで集めたくなってしまう恐ろしいものだからです。私は「絶対にこのおもちゃに関連したものは買わない」と心に誓いました。そして場所の問題は、リビングがちらかるのを避けるために、和室をこのおもちゃ専用にしました。今朝は早くから和室からおもちゃの音が鳴り続けています。何日で飽きるのでしょうか。

 

爽やかに小学生ら挨拶す

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先日の日曜日、小六の娘が男女合わせて七人の友人を家に連れてきました。事前に娘には、「お父さんは皆の前に出てきちゃだめ。お母さんは『あら、いらっしゃい』ってだけ言って、クールな感じにして。」と厳しい指導を受けました。娘は日頃から「お父さんは太っている」と言い、「お母さんはひょうきん過ぎる」と言って、恥ずかしがっているのです。でも主人は「自分は太っていない」といつも言っていて、まったく自覚がありません。私も、娘の友達の前で特別何かをした覚えはないのですが、どうやら無意識に冗談を言ったりしているようです。「無意識」というのが、自分でも少し恐ろしい気がします。
 思い返せば、私の亡母も同じでした。私の友達が遊びに来ると、途端にひょうきんなおばさんに変わりました。覚えているのは、「今晩はお風呂のお湯入れないからね。うちは三日に一度しかお風呂に入らないんだから」などと、あたかも本当の事のように友人に言うのです。友人たちのひきつった顔が忘れられません。
 そんなことを思い返せば、娘の気持ちはよく分かります。仕方なく私はこの日、娘の台本のセリフ通り、「あら、いらっしゃい」とだけ言い、後は一切姿を見せないようにしました。しかし、何か物足りない気がしたのは、母から受け継いだ遺伝子のせいなのでしょう。
 

 

美術館敷地に入ればはや涼し

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夏休みの終わり頃、少しは子供たちをインテリな所に連れていかなければと思い、私と子ども二人で美術館に行きました。
 まだまだ暑いさなか。バスを降りて、さほどの距離でもないのに、美術館までものすごく長い距離に感じます。私が日傘をさし、子供二人が横にピッタリとくっついて歩きます。いつも私一人ならば速足や、やや駆け足気味なのですが、まだ5歳になったばかりの長男の歩みに合わせなければなりません。そんな時、必ず思い出すのが、象の生態です。母親象が子象とぴったりくっついて歩く姿を、よくテレビなどでみる事があると思います。それは仲がよいというだけではないのです。強烈な日差しから、母親の体をもって子象に影を作り守っているそうなのです。ですから、母親と生きわかれ、人間に育てられている子象が背中に毛布をしょっている姿を見たことがあります。その毛布は母親の代わりの日除けなのです。その光景をずっと思い出し歩きました。やがて、やっとのことで美術館に着きました。それは砂漠の中のオアシスのようでした。そして着いていきなり、隣接するカフェで「天然氷のいちごミルクかき氷」を食べました。娘は、「この夏食べたかき氷の中で一番おいしい」と満面の笑みを見せました。

 

約束を果たして虹の立ちにけり

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先日、和田堀廟所という築地本願寺のお墓にあたるところの職員さんから電話がありました。てっきり住職への法話依頼かと思いましたら、「今回は毛利法子先生にお願いします」と言われました。なんと、私への法話依頼でした。人前で法話をしたことなど、ほとんどない私。資格だけは十数年前にとっていて、それから何もしておらず、正にペーパードライバーの状態。この十数年、結婚、子育て、立徳寺の設立、と激動の時代でしたので、法話の勉強はしてきていませんでした。そんな私への青天の霹靂でありました。 そういえば、亡き母は元気な頃、いつも「法話の勉強しておきなよ」と申しておりました。一応「うん」と答えてはおきましたが、何もせず月日は流れていったのです。この法話依頼を受けた時にはすでに一か月をきっていました。「いったい何について話せばいいのか」と悩んでいました。
プレッシャーからか毎日ひどい頭痛に襲われていたほどです。そしてやはり、それは二年前に亡くなった母のことしかないと思いました。母の死を通して、改めて気づかされたことが多すぎたからです。そして当日、何とか無事に終わることが出来ました。上手い下手があるとしたら、もちろん下手だったでしょうが、それより何より、長年の母との約束を果たせたような気がしました。

 

パンケーキ並ぶテーブル風薫る

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先日、ママ友達二人と、パンケーキの食べ放題に行きました。二人とも私よりずっと若く、その姿はまるで姪を連れているおばのようです。一時間も前から行って、鼻息荒く、その開始を待っておりました。しゃべっているので、一時間などあっという間です。恐るべし、主婦の井戸端会議パワー。その間、まったく周りは見えていません。
 さて、始まりと同時に、食べながらも次のオーダーをする友人たち。若いといえどもしっかり者です。でも、メープルシロップの入れ物を「これお醤油だよね」と話しているのには驚きました。急にここにお醤油が置いてあるわけがないのに。
 最初にギブアップしたのは私でした。「もうそろそろ限界かも」という私に、「もう?」と驚く二人。でも十数枚は食べたので、かなりの量だと思うのですが。そのうち「じゃあ私もやめておこう」とやめてしまう二人。「私の分も頑張って」と言っても、「お腹いっぱい過ぎると、後が大変だから」と言うばかり。しかし、二人の気持ちは分かりました。本当はまだ食べられるけれど、年上の私に気を遣ってくれたのでしょう。何だか、いたわられることの寂しさを感じました。
 
 

 

早朝のまだ静かなる初夏の街

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気が付けばもう五月。世間ではゴールデンウィークが始まりました。ゴールデンウィークなどの長い休暇、喜んでいるのは正直、子ども達だけです。親は、これから始まる恐怖の連休を思うと、身震いすらおぼえます。
 ところで私は今、朝からドーナツ屋さんに来ています。最近、書かなければいけない原稿などがあると、ここに来ます。今朝も、下の子を保育園に送ったその足で、ここに来ました。おかわり自由のカフェオレを傍らに、原稿をやっつけています。お金をかけてここに来ていると思うと、ものすごい集中力を発揮し、あっという間に出来上がってしまいます。人は切羽詰まれば、大抵のことは出来てしまうものです。
 普段、朝のドーナツ屋さんは、そこそこ混んでいます。年配の女性が多く、のんびりドーナツをほおばっています。みんな第一線を退き、余裕がある感じがします。これから会社に行く人では間に合わないでしょうからね。
 でも今日はいつもの顔ぶれではありません。  あきらかに客層が若い。若いママ達が子どもを連れてきている人も数人。店も混み始めました。私もそろそろ切り上げて、明日からの連休に備えなければ。
 

 

葛藤の心抱えて町うらら

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先日、いつものように食料品の買い出しに行った時のこと。かなりの量をカゴに入れ、レジに並んでおりました。自分の番がまわってきて、財布を開けると、そこにお札はなく、レシートばかり。小銭はありましたが、とても足りない。一瞬にして冷や汗が出てきました。「お金を車の中に忘れてきたようなので、すぐ取りに行ってきます。」と走りだしました。車に戻ってみてもお金は無く、仕方なく家に戻ることに。その間、私は「こういう時、そのまま戻らない人もいるんだろうな」などと、心の中で葛藤していました。
 レジに戻り、「すいません。車にお金が無かったので、家まで帰っていました」と言うと、レジの人は「戻ってきていただいて良かったです。」と嬉しそうな顔をしていました。そして、「冷凍のものは冷凍庫に戻してしまったので、自分でだしてください」と言いました。やはり、私の戻りが遅かったため、もう戻らないかもしれないと思ったのでしょう。その時ふとこれは、太宰治の「走れメロス」にそっくりだと気付きました。葛藤の中にも人を信じる尊さを説く、誰もが知る名作。こんな日常の中にも名作が息づいているとは、驚きました。

 

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