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立徳寺だより

正信偈に聴く②

(ぼん)(のう)(しょう)(げん)(すい)()(けん) (だい)()()(けん)(じょう)(しょう)()

今月の法話で聞かせていただくのは、正信偈の後半に出てくるご文です。「煩悩という悪い心に私の眼が覆われて、阿弥陀如来様のお救いの光をなかなか見ることはできないけれども、私を思ってくださる阿弥陀如来様の大悲のお心は、一時たりとも休むことなく、決して絶えることなく、いつでも私を照らし続けてくださっている」という意味です。          
 
 さて、私達が歩んでいる人生には楽しいことばかりではありません。できることなら嬉しいだけの人生を送りたいと思うのが人間の性ですが、たとえ嬉しいことや楽しいことしか起きていないときでも、その人が幸せと思っているかというと、不思議にそうとも言い切れません。
 
『仏説観無量寿経』というお経さんの中には「田あれば田に憂へ、宅あれば宅に憂ふ」と説かれています。田が無ければ田が欲しいと願い、手にすれば手にしたで、田の心配をしなければいけない。家が無ければ家が欲しいと思い、建てた後には、もっといい家に住みたいなど、一つの願いがかなっても、他の苦しみがまた沸き起こってくるというのです。
 
私達は何か問題があって苦しむのではなく、自らが問題を作り出し、苦しんでいるのだとお釈迦様は示されています。その中で、一番やっかいなのは、煩悩という欲や怒りの心を持つ私達は、その苦しみの種を自らが作り出していることに、なかなか気付くことができないでいることです。
 
人間は自分のしていることに間違いはない、自分は正しいと思いたいものです。まさか自分自身で苦しみを生み出しているなんて想像すらできないものです。私たちの苦しみの根本は、自分の愚かさを自覚できないことなのです。
 
しかし、仏法という阿弥陀如来様の光に照らされて、自分自身の現実の姿を直視することができた時に、本当に愚かであったのは、まさに自分自身だと気付かせていただけるのです。その気付きこそが、苦しみの人生を歩んでいた私から、喜びの人生を歩む私へと変られていくのです。
 
自らの愚かさを自覚し、どんな苦難の中にあっても「ようこそ、ようこそ」と生き抜かれた、足利源左同行が思い出されます。     
 
因幡の妙好人(お念仏を慶ばれたご門徒様)と慕われた、足利源左さんという方は、昭和五年に八十九歳のご生涯を閉じられましたが、そのご生涯は決して平穏なのもではありませんでした。
 
二人の子供を亡くし、二度にわたる火災など、何度も悲しみや苦しみのどん底を味わってこられた方でした。十八歳の時、「おらが死んだら、親さまタノメ」という父親の臨終の言葉が動機となり、聞法を重ねられ、どんな苦しみや悲しみにであっても、すべては私を導いてくださるご縁であるのだと、乗り越えていかれたのです。
 
その源左同行にこんな逸話が残っています。山で蜂にさされた時、「蜂にも針があったんだなぁ。ようこそ、ようこそ」と拝んだというのです。
 
刺した蜂を嫌うのではなく、毒針を持つのは蜂だけでない、自分自身の心の毒針で、いつも他人を傷つけながら生きている。自分だけはまともと思い上がっている私に、蜂が教えてくれたと受け取っていかれたのです。
 
すべては私を導いてくださるもの。できれば会いたくない苦しみや悲しみも私が仏法に遇わせていただく縁であったといただかれたのです。
 
如来様の光に照らされる中で、苦しみの種を作り続ける凡夫である自らを厳しく省みて、そんな私が救われていく、如来様の大悲の世界に、苦しみの種を喜びの種にかえていかれた本当の念仏者のお姿が、しみじみ感じられます。

夏休みに思う(2007/9)

 

今年は九月一日、二日が土曜日曜日ということもあって、子供達にとっては、夏休みをちょっと得した気分ではなかったでしょうか。それでも、得した二日間を楽しく過ごした人ばかりではないしょう。最後の二日間を、たまった夏休みの宿題に追われ、親に手伝ってもらいながら、必死で終わらせた人も少なくはないでしょうね。

 私も小学生の頃、夏休み最後の日に、二週間分の日記を半べそをかきながら書いた、にがい思い出があります(笑)。どうしても嫌なことを後回しにして、お尻に火がついてから、慌てて行動に移るというのは人間の性ですね。

 あるテレビのドラマで「明日やろうは、馬鹿野郎だ」というセリフがありました。分かってはいるつもりでしたが、一瞬ドキッとしました。私達は普段、明日が来るのは当たり前と思って生活していますが、考えてみると明日私が元気に生きている絶対の保障なんて、何処にもありません。だからこそ「明日でいいや」ではなく、二度とやってこない今日を悔いのないように生きることが何より大切なのです。

乳児殺害事件に思う(2007/10)

 先月4日に、東京都日野市で起きた、乳児殺害事件の犯人が逮捕されました。
生後3ヶ月の乳児を殺害した犯人は、実の祖母であったという、あまりにも残酷な事件でした。
殺害された乳児は、生まれつき脳に障害があり、犯人の祖母は、
「孫が病気で、将来を不安に思った」と供述していたそうです。
 
孫の将来を思い、つらい思いをさせたくないという気持ちからの犯行であるならば、
もしかするとこの事件は、祖母が誰よりも孫を愛していたがために起きた、事件なのかもしれません。
 
しかし、たとえそうであっても、この祖母は、実の孫を殺害した
という苦しみを、一生背負って生きていくことになったのです。
 
人間の愚かな考えは、それが愛する者のためを思ってのことであっても、
他の者を傷つけ、自らを苦しみのどん底へ突き落とす原因になることもあるのです。
 
私たち人間が、生きていく上で頼りとしている、自分の考え(知恵)には、
必ず毒があると仏法には説かれています。良かれと思ってしていることの中に、恐ろしい過ちが隠れているのです。
 
自らの知恵だけに頼るのではなく、法の智慧をよりどころとして
生きていくことが、本当の幸せを見つけることができる道なのです。

正信偈に聴く①

 

 帰命きみょう無量むりょう寿じゅ如来にょらい  南無なも不可思議光ふかしぎこう
 
 
『正信偈』の最初の2句ですが、浄土真宗の流れをくむ私達にとって、とても親しみ深いご文です。先日、葬儀社の方が、お葬式にあたって、九州から出て来られて間もないご遺族に「ご宗旨はどこですか」と尋ねられたそうです。よく分からないといった顔をされておられたので「お経さんはどんなのでしたか」と聞くと、「帰命無量如来です」とお答えになったそうです。
 
浄土真宗や正信偈という言葉は知らなくても、お経といえば「帰命無量寿如来」と覚えているのは、このお勤めが、遠い祖父母や両親の声として伝えられ、私達に届いてくださっているからでしょう。
 
 さて、この『正信偈』は、親鸞聖人がお書きになった『教行信証』の中に出てくる、六十行百二十句のご文です。親鸞聖人が阿弥陀如来様の救いの心を深く味わわれ、そのお徳をよろこばれた偈(うた)であります。
 
まず、「帰命無量寿如来」についてですが、親鸞聖人は「帰命は本願召喚の勅命なり」とお示しくださいました。欲をおこし、苦悩の生活を送る私達に、「どうか私を頼りにし、安心してまかせなさい。」という、阿弥陀如来様のよびごえであるとおっしゃられています。そして無量寿という限りのない命をもって、一人残さずお救いくださる、如来様の慈悲(じひ)のはたらきをいわれているのです。
 
「南無不可思議光」の「南無」も「帰命」と同じ意味で、不可思議光という、私達人間がとうてい計りつくすこともできない光のような、如来様の智慧(ちえ)によって救われていくことをいわれています。つまり、限りのない寿命と、さまたげられることのない光明によって、いつでも、どこでも、誰でも、必ず救うという阿弥陀如来様のおはたらきを称えられているお言葉なのです。
 
すこし難しくなりましたが、親鸞聖人は、この最初の二句で、南無阿弥陀仏のお念仏のいわれをお示しくださっているのです。私達が普段お称えするお念仏は、「まさに子を想う母のごとき如来様の親こころによって、私の口に出ていてくださるのだ」と、親鸞聖人はよろこばれておられました。
 
子供が「お母さん」と呼ぶ時、確かに呼んでいるのは子供ですが、呼ばせているのは母の愛なのです。どんなに愚かな私であっても、決して見捨ててくださらない、如来様の願い、親ごころに包まれて、お念仏の日暮を送らせていただきたいものです。
                   合 掌

遷仏に思う(2007/11)

 先月三十日に、島根県にある実家、立善寺の報恩講に帰省してきました。
報恩講にはたくさんの方々がご参拝くださり、盛大な法要が勤まりました。
 
さて、この度の帰省には、実家の報恩講ということもあったのですが、それとは別に、
どうしても一度訪れてみたい所がありました。それは、立徳寺へお迎えしたご本尊が安置されていた、
島根県川本町の心光寺というお寺です。
 
 心光寺は、大森銀山代官所のお役人が開基であるといわれ、二百五十年の歴史ある寺院でした。
しかし、平成十三年に、人口の過疎化に伴い、門徒戸数も減り、
寺院の運営が困難となり、廃寺となってしまったお寺です。
 
現在は、のどかな田園風景の中に寺院跡がありましたが、山門であったと思われる
小さな石階段があるだけで、建物などは何も残っていませんでした。
 
二百五十年もの間、たくさんのご門徒の方々が心光寺に集まり、仏様の教えを慶んでおられたのかと思うと、
ご住職様やご門徒の皆様の残念な思いは計り知れません。
 
島根県で生まれ育った私が、故郷からご本尊をお迎えするというご縁は、
「今度は神奈川の地で、み法を伝え弘めなさい」という、阿弥陀如来様からの勅命のように思えてなりません。

クリスマスに思う(2008/1)

子供達にとって昨年最後の大イベントといえば、なんと言ってもクリスマス。
みんな気に入ったプレゼントは貰えたのでしょうか。
 
さて、皆さんもご存じの通り、クリスマスはキリスト教の行事です。本来、
仏教徒には関係のない行事なのですが、日本では、あまり信仰とは関係なく、国民的行事として行われます
 
 「お寺ではクリスマスはしないんですよね」っと、聞かれることがありますが、我が家では、
昨年のクリスマスには、家族でケーキを食べて、娘にはサンタさんがもってきてくれたと、プレゼントを渡しました。
 
お寺に生まれた私の娘には、クリスマスプレゼントがないというのは、ちょっと可哀想だったからです。
私も幼い時は、両親がクリスマスプレゼントを用意していてくれました。
 
 そんなクリスマスの日、娘がおばあちゃんから、グラスのコースターを何枚かもらいました。
そのコースターをテーブルに並べながら、「これはお父さんの分、お母さんの分、
私の分、それから阿弥陀様の分。」とつぶやいていました。
 
お寺でクリスマスなんて、仏様の教えには合いませんが、娘にとっては、仏様と一緒にすごした、クリスマスでした。

仏様からいただくご利益

我執の願い
 
今月の法話は、阿弥陀如来様のご利益についてのお話です。さて、受験のシーズンがやってきました。このシーズンの風物詩ですが、何とか志望校に合格できますようにと、わらにもすがる想いでご利益を求め、受験生や子供の両親がこぞって、神社へ合格祈願にでかけます。浄土真宗の教えにもご利益はありますが、一般に言われているご利益とは、全く性質が違ったものです。
 
例えば、この合格祈願を阿弥陀様にお願いした場合、願いをかなえてくださるでしょうか。結論から言うと、残念ながら、かなえてはくださいません。何故かと言うと、私たちの願いというのは、必ずといっていいほど、我執(がしゅう)という心が入ってくるからです。つまり、自分を中心に考えた心から生まれる願いであるからです。この合格祈願の中にも、自分が合格する為ならば、誰かが不合格になってもいいという心があるのです。それこそ、誰か他の人を落としてでも合格したいと願う心と同じだからです。
 
他にも、家族や親戚が健康でありますようにと、ご利益を願う心など、一見すばらしい願いのように思えるものにも、やはり我執という自分中心のこころが入ってきます。自分に縁のある人や、自分にとって都合のいい人は健康でいて欲しい。しかし、隣の家族の健康なんて知ったこっちゃない。自分を悪く言う人の健康なんて考えてみたこともないという姿が見え隠れしますね。一切平等に救うと誓われた阿弥陀様が、そういう我執の入った願いをかなえてくださるとは、とても思えません。
 
 
信心から生まれるご利益
 
親鸞聖人が尊敬された、善導大師という、中国のお坊さんが、阿弥陀如来様のご利益をこんな喩え話でお示しくださいました。
 
たとえば人ありて稲を求めん。まったく藁を望まざれども、
稲いできぬれば、おのずから藁を得るが如し。
 
藁(わら)とはこの世のご利益のことで、稲とは後世を願う心、つまり、阿弥陀如来様の救いにおまかせをする心を表します。稲を得るものは必ず藁を得るのと同じように、阿弥陀如来様の救いを信じる者は、おのずと、この世の望みがかなうという意味です。阿弥陀如来様のお救いとは、人間としての命終わる時には、必ず仏として生まれさせてくださるハタラキです。そしてご利益とは、そのハタラキにお任せし、真実の信心を得た人が自然と賜るもので、阿弥陀如来様に祈ってみても得られるものではありません。では、具体的に阿弥陀如来様のご利益とは、どんなものでしょうか。
 
災いが無くなるご利益
 
親鸞聖人は、御和讃の中に、息災延命(そくさいえんめい)という、災いが災いでなくなるご利益を、阿弥陀如来様の教えの中から、お示しくださいました。阿弥陀如来様の教えとは、私達が生きていく上で出会う、老いや病の苦しみ、別れの悲しみなど、全ての事柄に意味を与えてくださる教えです。
 
『癌告知の後で』という本を書かれた、鈴木章子(すずきあやこ)さんという方がおられました。この方は浄土真宗のお寺の奥さんですが、癌を患い、四十七歳という若さで、二人の子供と旦那様を残して、お亡くなりになられました。しかし、鈴木章子さんは、阿弥陀様の教えに照らされ導かれることで、癌と共に生きる人生が、これほどまでに深く素晴らしいものになるのかと驚くばかりであると、おっしゃいました。
 
まず、癌を患い、明日をも知れない我が身の中で、これさえ手に入れば最高と思っていたものが、どれだけ中途半端なものであったかを知ったそうです。財産も肩書きも旦那も子供も、いざという時にはすべて置いていかなければならない。そこで大切なのは、心にどんな宝物を抱いているかであると思ったそうです。その気付きこそが、仏法にであう導きともなったのです。そして、思うようにならない人生だからこそ、当たり前と思っていたすべてのことが、どれほど幸せなことであったかを、気付くことが出来たのです。 
 
鈴木章子さんは「癌をいただいたお陰で、至る所からご説法が聞こえてくる。肺癌で寝ているこのベッドの上が、如来様のご説法の一等席であった」と涙されたそうです。
 
苦しみや悲しみに出会ったからこそ、初めて気付くことの出来る大切なことがわかった。そして、これがあったからこそ、お浄土へ生まれてく道に出遇えたのだと、災いと思っていたこと全てを拝む心が生まれる時に、苦しみや悲しみに会ってよし、生きてよし、死んでよし、何が起きようとも阿弥陀様と一緒に生きて、共にお浄土へ生まれていくのだと思うことができるのです。それこそが、災いが災いでなくなる阿弥陀如様のご利益なのです。

ご法事に思う(2008/3)

先日、葬儀を勤めさせていただいたご家族から、法事の依頼があり、
自宅で奥様と息子さんと百ヶ日法要をお勤めしました。ご法事の後、
お茶をご馳走になりながら、亡くなられたご主人様の事を聞かせていただきました。
 
ご生前は何事にも一生懸命取り組んでおられ、その人柄は、いつも他の人の事を
想っておられる方だったそうです。実際に、何年も会っていない近所に住んでいた青年が、
幼い時に一緒に遊んでもらい、いつも良くしていただいたと、お通夜に駆けつけてくださるほどだったそうです。
 
話の途中で、「もっと色々してあげればよかった、なんでもしてもらってばかりだった」と、
涙ながらに話しておられる奥様に、「大丈夫だよ、仏様になっていつでも傍にいてくれてるんだよ。」と、
息子さんがやさしく声をかけておられました。
 
「そうだね。そうだね。」と涙を拭きながらうなずいておられたお二人の姿は、ご法事という、
亡き方が残してくださった大切な仏縁の中で、まさに仏様の教えに出遇われていかれた姿に思いました。
 
きっとこのご家族は、大切な方を失った深い悲しみの中にも、仏になられた方の願いに包まれて、
大きな心強さをもって、歩んでいかれることでしょう。そして、その心強さをいただくことこそが、
ご法事本当の意味なのだと、改めて感じさせていただきました。

今がめでたい

新しい年を迎え、年賀葉書やテレビなど、いたるところで「おめでとうございます」という言葉が使われています。無事年を越して、新年を迎えることができ、目出度いという意味でしょう。ですが、一つの区切りを越したと考えれば、毎年やってくる、お彼岸やお盆でも、無事越すことが出来たという意味では、「おめでとうございます」と言ってもおかしくないような気もします。
 
さて、ちょっと意地悪なお坊さんのお話です。テレビアニメの一休さんでもおなじみの一休宗純というお坊さんの逸話です。ある裕福な商人が、孫ができたお祝いに、何か目出度い言葉を書いて欲しい、家宝にするからと、一休禅師のもとを訪れました。こころよく引き受けた一休禅師の書いた言葉は、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」という言葉でした。目出度い言葉をお願いした商人は、カンカンに怒って、「死ぬとはどうゆうことだ」と一休禅師を問いただします。すると一休禅師は「では、あなたは、孫死ぬ、子死ぬ、親死ぬの方がいいのですか」と聞き返したそうです。ますます怒って帰ろうとする商人に、一休禅師は続けて「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。これほど目出度いことがあろうか、これが逆になったらどうする」と、さとしたそうです。
 
現実、順番通りに死ぬことができるかどうかわかりません。世の中には子供の葬式を出してやらなければならなかった人もいます。それこそ孫を見送らなければならなかった人もいます。そもそも、この順番というもの事態が、最初から無いのです。順番通りにいかなかった時に、その遺族は不幸という考えも、死を不幸な事して捉えていることに問題があるのです。家族や最愛の人が亡くなるということは、大きな悲しみです。しかし、死とはごく自然なことであり、生きているということは、必ず死んでいかなければならないということなのです。だからこそ、今生きている人生を精一杯生き抜いて欲しいという願いが、一休禅師の言葉の中に込められていたのだと思います。
 
私達は、生きている時間に対してあまりにも無頓着で、死をまるで遠い未来の事ように思って生きていませんか。本当にめでたいのは、今私が生きているこの一瞬一瞬。そのことに気付くことができるのが、仏法との出会いなのだと思います。

仏として生まれる命

中葉書は何のため

早くも師走を迎えました。この時期になると、いたるところから、喪中葉書(年賀欠礼)が届きます。年内に身内が亡くなった時には、皆当たり前のように出されていますが、この喪中葉書というのは、本当に、意味のあることなのでしょうか。

そもそも喪中というのは、死をケガレとして考え、忌み嫌い、死人が出た家を、喜ばしい行事などから、一定期間隔離しようとしているものです。つまり、喪中葉書は、我が家は死人を出した穢れた家であるから、慶事を辞退しますという意味なのです。なんだか亡くなった方に申訳ないような気すらしてきます。

 そうはいっても、社会的なつながりを考え、わざわざ常識外れなことはしたくないという方もいらっしゃるでしょう。とても新年を慶ぶ気持ちにはなれないという遺族の想いから、喪中葉書を出すというのも、よく分かります。しかし、浄土真宗のみ教えをいただく者としては、喪中葉書を出す意味と、亡くなった方の命について、よくよく考えていく必要があるでしょう。

命の日

仏教には、祥月命日というのがあります。この祥月という言葉は、喜ばしい月という意味です。どうして人が亡くなった日が喜ばしい日なのかと、不思議に思われるでしょうが、命日とは人間の命を終えた方が、仏として命お生まれになった日であると考えるからです。 

人間死んだらごみになるとおっしゃった方もいましたが、それではあまりにも悲しい生き方に思えてなりません。死ねばゴミになるのだから、生きている間は何をして良いという、恐ろしい考えにも繋がっていきかねません。ましてや、最愛の人が亡くなった時に、その人をゴミとして扱うのでしょうか。

仏様の教えでは、人間死んだらゴミになるのではなく、仏として生まれていくのです。だからこそ、私たちがこの人生を安心と希望の中に、謳歌していくことができるのです。そして、亡くなった方が仏となって、いつでも私の傍にいてくださるという、その心強さによって、苦しみや悲しみを乗り越えていくことができるのです。

 

ともかくもあなたまかせの年の暮れ

俳人小林一茶の句です。念仏者の俳人としても知られる一茶は、五十一歳で結婚をし、長男が生まれますが、生後一ヶ月で、病のため我が子を失います。次に生まれた長女もまた、一年で病死。悲しみのどん底の中で、この句を詠んだそうです。

この句の“あなた”とは、死んだ我が子を仏として生まれさせ、仏となった我が子と一緒に、私を見守り導いてくださっている、阿弥陀如来様へ感謝の気持ちを詠んだ句なのでしょう。

 一年を振り返った時、たくさんの方々のお蔭で今私が生きている事への感謝と、いつでも私の傍で、浄土へ生まれていく道を照らし続けていてくださる、阿弥陀如来様への報謝のお念仏とともに、新しい年を迎えていきたいものです。

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