立徳寺だより
婦人等のおしゃべり続き麗らかや 釋法蓮(法子)

私には女子大時代からの親友が二人います。メールはほぼ毎日やり取りをし、実際に会うのは数ヶ月に一度。誰かれともなく「そろそろ会おうか」と言い出します。
大抵会う時は、デパートの最上階でランチをし、そのままお茶をし、三時間くらいでおひらきとなります。話す内容はとてもたわいのないことです。
最近見ているテレビドラマの話、仕事の話、家族の話。それでも若い頃は、恋の話などもしましたが、この頃はさっぱりです。私は結婚していますし、友人は二人とも独身で、今のところ結婚する予定も全くないのです。
その代わり、親の看護について話すことが多くなりました。実際に友人の一人は、すでに病気の両親の看護を全て一人でやっています。しかし、重い話も三人でいる間は笑い話になってしまいます。
そして、そんな楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、名残惜しくも急いで家路につく帰りの電車の中、冒頭の句のような光景を見ました。六十代くらいの三人組の女性が、並んで座席に座り、買い物をしたデパートの袋をひざに乗せ、楽しそうにおしゃべりを続けていました。
きっと私達と同じように楽しいひと時を過ごしていたのでしょう。私はそのおしゃべりをBGMに、うとうとしながら、私たちの友情が長く続くことを願っていました。
先に来し人の足跡蕗の薹 釋法蓮(法子)

二月になりました。いよいよスギ花粉の季節です。鼻水がとめどなく出て、目もかゆく、私は毎日マスクをして出かけています。「少し早いのでは?」とお思いになるかもしれまんが、毎年症状が出始めるのは、一月末なので、二月はもう本番なのです。
私は、花粉症に効くといわれるものは、大抵試しました。近年ヒットだったのは、「つくし」です。つくしがアレルギー症状を抑えることが研究され、つくし飴となったものをなめると、鼻がすっと通ったのです。それでは、つくしをそのまま食べたらもっとよいのではないかと、近くの大山に探しにいってみました。
しかし、探しても探してもつくしは見つかりませんでした。時期が早かったのでしょうか。あきらめて帰る道に、蕗の薹を見つけました。実物をあまり見たことがないので、最初は半信半疑だったのですが、何個か摘まれた跡があったので、間違いないと思いました。つくしを入れるはずだったビニール袋に入れ、摘んだ蕗の薹を持ち帰りました。
家で早速天ぷらにしました。以前スーパーで買った蕗の薹はすごく苦かったのですが、採りたての物の苦みは爽やかで、甘味がありました。思いがけず本物の味を知ることが出来た、早春の一日でした。
凧と吾を繋ぐ糸でありにけり 釋法蓮(法子)

毎年、お正月の晴れた空を見上げると、凧揚げがしたくなります。去年、ふとその衝動に駆られ、実家の自分の部屋にしまっておいた凧を引っ張り出しました。赤塚不二雄さんの漫画の絵が描いてあるビニール製の凧ですが、かなりのレア物です。
そして今日は風もあり、最高のコンディション。法徳寺の駐車場で娘と二人で揚げ始めると、ぐんぐんと糸いっぱいまで、あっという間に揚がりました。すると、主人と弟がやってきて、「もっと糸を足そう」ということになり、足すとますます凧は高くあがりました。
もはや絵柄などまったく見えず、青空に黒い点となった凧。その凧と自分を繋ぐのは、この凧糸のみで、これを放したら、すぐに何処かに飛んでいってしまうという緊張感がたまりません。
はしゃぐ私たちに対し、娘はすでに飽きて、違う遊びを始めていました。三十半ばの輩が三人で凧揚げに興じているという姿は、はたから見ると、いかがなものかと、ふと脳裏によぎるのでした。
最後だとわかっていたら
命の帰る場所
ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり
『歎異抄』第9条
今がめでたい
ありがとうの反対語
御正忌や炎大きく朱蝋燭 釋法蓮(法子)

先月、立徳寺では初めての報恩講が勤まりました。報恩講(御正忌)は親鸞聖人のご命日(新暦は一月十六日)で、十一月の季語になっています。この日は前日から主人と私と娘で作った、けんちん汁や、法徳寺の住職手作りのお赤飯が振舞われ、お土産には紅白餅をお渡ししました。
その二日後、早速お参りされた方より、お礼のお葉書をいただきました。そこには、このように書かれていました。「お赤飯といい、紅白餅といい何か嬉しいことなのですね。御聖人様のご恩を深く感じました。」仏前の蝋燭も珠、まさに報恩講とは慶ばしく有難いもので、聖人のご生涯を通して、阿弥陀如来様のご本願を聞かせていただく法要なのです。
京都のご本山では、一月に御正忌報恩講が勤まります。そのため、ご本山に皆様がお参り出来るよう、それ以前にお勤めされることが多いのです。立徳寺でも無事に終えることができ、ほっとしています。これで、安心して新しい年を迎えることが出来ます。
あなたは何処へ向かって歩んでいますか ~報恩講~
仮の教えと真実の教え
今月のご法話は親鸞聖人のご和讃からお味わいをさせていただきます。
成仏これ真宗 萬行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして 自然の浄土をえぞしらぬ
(高僧和讃)
他力念仏のはたらきによって仏にならせていただくのが浄土真宗の教えです。自らの力で、さまざまな修行やもろもろの善行を励んで仏になる事を説く教えは、仮の教えにすぎません。真実の教えと仮の教えとをわきまえる事をしないで、浄土の世界を知ることは到底出来ないでしょうと、自力の教えを往生浄土の本とするのでなく、念仏の教え、如来様のお救いにお任せすることをお勧めくださったご和讃です。