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坊守の俳句エッセイ

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坊守プロフィール・・・毛利法子(もうりのりこ) 法名 釋法蓮   

           俳号:伊東法子 ホトトギス同人 第13回日本伝統俳句協会新人賞受賞

        

 

 

栗剥げばこんなに小さくなりにけり

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 先日、新鮮で大きな生の栗をたくさんいただきました。日頃から、お寺というものは頂きものが多く、本当に有難く思います。さて、栗ですが、実は私は生の栗の皮を剥いたことがありません。

 数年前、友人が栗の皮を剥いて、包丁で指を深く切り、漫画家なのに仕事がしばらく出来なかったという話を聞いて、怖くなってしまっていたのです。でも、これもせっかくの縁。人生初の栗の皮、剥いてみようではありませんか。と、勇んで栗に入刀。すると思っていたよりずっと固いのです。鬼皮と言うだけあり、固いにも程があるほど固い。しかもその下の渋皮もなかなか手ごわく、実にぴったりとくっついてしまっています。私のイメージでは、甘栗の皮のようにある程度刀を入れれば、後はするすると剥けるのかと思っていましたが、とんでもない。一刀一刀少しずつ地道に剥くしかないのです。まさに忍耐と努力。

 剥き終わった後、栗を見ると、皮があったものに比べて驚く程小さくなってしまいました。外が明るいうちに始めた栗剥きでしたが、栗ご飯が出来るほど剥いた頃には、外は真っ暗になってしまいました。炊飯器にセットして後は待つだけ。炊けた栗ご飯はかなり栗の多いごはんでした。おかずは他に作ることは出来ませんでしたが、これぞ贅沢な食事と言うものでしょう。何とも豊かな気持ちになった夕食でした。

 

汗かいてうなずき続けをりにけり

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 先日の暑い日、二十年来の女性の友達と会って、ランチをしました。
 最近、ふと仲の良い友人たちの共通点について考えてみると、人の話を聞いてくれる寛容さ、優しさがあるということに気が付いたのです。
 その友人は、首振り人形のごとく、いつもうなずいています。私が「右だっけ?」と言えば、「うん、うん」。「いや、左じゃない?」と言えば、「うん、うん」。という感じです。関西弁で言うなら「どっちやねん」と言いたいところですが、それが彼女のいいところなので私は何も触れません。要は、本当に聞いているかは別として、聞く態度があるかという事が重要なのです。そんな彼女が会う度に相談してくることがあります。それは、どうしたら痩せられるか?という質問です。数年前まで私は真剣に答えてまいりました。しかし、痩せるどころか彼女は丸々と太っていくばかり。でも今回も一応、「最近は夕食に炭水化物を抜くっていうのが、流行ってるらしいよ」と指南すると、彼女は「うん、うん、うんうん」といつもより多くうなずいていました。でも体形といい、うなずくその姿が癒し系のアニメのキャラクターのようで、いつまでもそのままでいてほしいと、思ってしまうのでした。

 

アイスコーヒーを片手に帰り道

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最近よく、視力が落ちてきたなぁと感じます。アラフィフ(50代に近い年頃)なのだから、当たり前ではありますが。やはり同世代の友人は、たいがいがメガネかコンタクトをしています。
 ですから、「目は悪くないのか」とたびたび聞かれることがあります。「悪いと思うけど、メガネの値段が高くて買えないの」と答えていました。すると、先日、「いまはそんなに高くないよ」と、友人が真剣に教えてくれたので、何だか申し訳なくなり、眼鏡屋さんに行ってみることにしました。
 早速、銀縁メガネ美人の店員さんに、じっくりと視力をはかってもらいました。すると結果は・・・。「左右とも視力は1.2ですね。乱視もありません」と冷たく美人店員さんは言いました。これでは、ま
ったくメガネなど必要のない十分な視力。いつの間にか「視力が落ちているはずだ」という思い込みがあったのでしょう。私は笑うしかなく、「すいません、すいません」と何度もペコペコして逃げてまいりました。まぁでもメガネ代が浮いて良かったです。そして隣にあるコーヒー屋さんで、いつもよりワンサイズ大きいコーヒーを買って帰りました。
 

 

弁当の重きリュックや春の山

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 3月は別れの季節。いよいよ息子も長年親しんだ保育園を卒園します。そのため先日、お別れ遠足がありました。いつもは給食ですが、この日はお弁当を持参します。正にこの日こそ、お母さんの腕の見せ所。息子が言うには、全員キャラ弁(キャラクターをかたどった弁当)を持ってくるというのです。
 前回、春の遠足で私はキャラ弁を自信満々で持たせました。すると帰宅後息子が、「みんなにへたくそって笑われた」と言ったのです。そこそこの完成度だと思ったのに、子供達の厳しい目に大変驚かされました。
 さて今回はリベンジしなくてはなりません。ケチャップでキャラクターの絵をかくことにしたのですが、途中まではいい出来だったのに、手が当たって絵がつぶれ、すっかり何の絵か分からなくなってしまいました。さすがに、これではいけないと思い息子に「作り直すね」と言うと、「このままでいい。へたくそのほうが面白いから。僕みんなに笑われたいの」と笑顔で言うのです。6歳にしてすでに自虐の笑いというものを知っているとは。これが生きるための知恵なのか、
なんとも複雑な気持ちになりました。
 

 

脱稿の心抱きし今朝の春

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 さて、毎月お届けしている立徳寺だよりですが、私の担当している俳句エッセイは、何日くらいかけて原稿を書いているか、ご存じでしょうか。答えは、30分です。気持ちとしては何日も前から頭の中にあるのですが、着手するのがいつもギリギリで、30分で書くことになってしまうのです。今朝も住職が私に急にエッセイを書くよう言ってきました。私もさすがにタイムリミットを感じてはいましたが、今日は体調がすぐれないのです。何故なら、昨日作ったチゲ鍋の評判が悪く、たくさん余ってしまったので、今朝仕方なく全部一人で食べきったのです。それでずっと気持ちが悪いのです。住職に「私、今月のエッセイ休ませてもらいたい」と言うと、急に私の肩をもみはじめました。「坊守の俳句エッセイ、評判いいんだから、頑張ってよ」と、まるで悪徳商法の人のように言い聞かせてきます。そこでとうとう諦めて、仕方なく布団に入りながら、上半身だけ起こし、ペンを執った次第です。
 このように「俳句エッセイ」は瞬発力のエネルギーで書いています。その方が鮮度のある文が書けるといえるかもしれません。でももうギリギリはこりごりです。

 

北風の園庭の中マラソンす

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 先日、保育園で、来年は小学生になる息子のマラソン大会がありました。息子はクラスでもかなり背の低い方で、運動がとても苦手です。
 息子がスタートラインに一列に並んだ時、その時は特に小さく見えました。そして、「よーい、スタート」で一斉に走り出した直後、いきなり派手に転んでしまったのです。ただでさえ遅いのにスタート時で半周遅れ位になってしまいました。その後、園庭を20周回る間、たくさんの子に抜かれていきました。周回遅れで走り續けている息子が、とても可哀想に思えてなりませんでした。決して一位になってほしい訳でもないし、誰かを抜かしてほしい訳でもありません。ただ、その状況になってしまったのが不憫だったのです。
 走り終わった息子を見に行くと、両足から血を流し黙って席に座っていました。私は、「後で迎えにくるからね」と明るく言い、その場を急いで立ち去りました。何故なら、こんな事で涙が出そうになってしまったのです。
 帰宅した息子に改めて、「今日のマラソンどうだった?」と聞くと、「転んじゃって、少し悲しかった。でも途中で一位になれたんだよ」と笑顔で答えました。周回遅れなのに、なかなかポジティブ思考で、頼もしく思えました。

 

人ごみの駅の改札冬に入る

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先日、中一になる娘を歯科医に連れていくため、駅で待ち合わせをしました。娘はその前に友達と出かけていたのですが、そのために早く帰ってくると約束して行ったのです。
 しかし、いくら待っても娘は現れませんでした。色々な不安があふれてきましたが、連絡を取るすべもなかったので、私はとりあえず家に帰り、待つことにしました。
 数十分後。娘は何事もなかったように「ごめんね。間に合わなかった。」と普通に帰ってきました。私は激怒しました。
 実はこの歯科医に「間に合わなかった」件、これが数回目なのです。私は怒りと悲しみでふて寝をしました。そして、自分の若かりし頃のことを思い出してみました。中学・高校の頃、自分で起きられず、母が怒りながら私を起こしていた日々。そして、一緒に学校へ行く友達を何回待たせたことでしょう。それ以降だって、いつもギリギリ。今だって、下の子を保育園に送るのもやや遅刻気味。よく考えたら、娘ののんびり性格は
私にそっくりではありませんか。
 時間の感覚というのは難しいものです。「間に合わせる」には経験に基づき、予想を立て、行動する、たくさんの能力が必要です。圧倒的に経験値の少ない娘には、難しいことでしょう。ダメな母なりに、一人立ちのために、大切な思春期の娘を見守っていきたいと思います。
 

食べきれる量さへあれば栗拾い

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秋も深まる今日この頃。たまには子どもたちに、行楽の秋らしいことをさせなければと、栗拾いにいくことにしました。
 山あいの方に車を走らせれば、十分くらいで栗拾い農園が立ち並びます。さて、どこに入ろうかと迷います。何故かというと、私には栗拾いに一つ心配なことがあるのです。それは拾って持って帰った栗を、本当に料理出来るのかということです。栗はなにせ皮が固い。しかも一粒一粒が小さい。それを何十個もむくのですから、時間もかかるし、技術もいるのです。私の友人の中で、まめな方が栗ご飯を作り、手を切って、絵を描く仕事なので困ったという話を聞いたばかり。
 さて、かわいい木の看板を発見し、そこの農園に入ってみました。ここでは、店先ですでに焼き栗を販売しています。何と甘い香り。すぐに焼き栗を買い、「栗拾いはしなくていいので、栗の木だけ子どもにみせてもらっていいですか」と聞くと、おじさんは「どうぞどうぞ見てきてね。」と、笑顔で言ってくれました。その場で栗も食べられて、栗の木も見られて、私の目的にぴったり。子どもたちも、「安く済んで良かったね」と大人の意見を言っておりました。

 

誰も居ぬ園庭にゐて夕焼ける

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 息子を預けている保育園の同級生のママにとても綺麗な方がいらっしゃいます。と言っても、保育園のママは大抵若い方なので、みんな綺麗と言えばそうなのです。しかし、この方は、いくら何でも「美しすぎる」のです。背が高く、ハーフのようなかを立ちに、顔の面積は私の四分の一、身体の幅は半分ほどです。決して一般人には思えないので、モデルか何かやっている人だと思い、本人に聞いてみると、普通の事務仕事らしいのです。「えーっ勿体ないよ」と思わず言うと、「いえいえ」と、あくまで謙虚でいらっしゃいました。
 以前に、まだ息子が保育園に入って間もない頃、お迎えに行くと、私に向って、「けいしん君のおばあちゃん?」と知らない子供に聞かれてしまいました。確かに四十歳で産んでいるので言われてもおかしくないのですが、やはりショックは大きかったです。そして主人も、「けいしん君のおじいちゃん、こんにちは」と子どもに言われているのを目撃してしまいました。主人に言うと「そんなの聞こえなかったよ」と、ごまかしておりました。先日、例の「美しすぎるママ」が、まるで芸能人のように、子どもたちに囲まれ、「かわいい、かわいい」
と、もみくちゃにされているところを見ました。抱っこを次々にせがまれ、大変そうでした。「美しすぎる」ということもそれなりに苦労があるのかもしれません。
 

 

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