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法話

本当のこころのよりどころ

 突然ですが、皆様は、何を心のよりどころとして生きていますが。支えや頼りにしているもののとです。そして、それは本当に頼りにできるものでしょうか。
 
 仏教を開かれたお釈迦様の教えの中に、次のようなご説法があります。「モズという鳥は、秋の間、せっせと餌を集めるが、それを木の枝に突き刺しておく癖がある。寒い冬の日のために蓄えているつもりなのです。けれども愚かなモズは、餌を突き刺した場所を確かめるのに、空を見上げて、雲を目印にしている。あの形の雲の下に入れば、この餌にありつけると思っているのです。ですが、雲は動くものだから、せっかく集めた餌をみつけることが出来ずに無駄になってしまう。結局、哀れなモズはひもじい冬を過ごす結果になってしまった。」という内容のものです。
 
 お釈迦様は、モズの例えで何を教えようとしておられたか分かりますでしょうか。それは、移り変わっていくもを心のよりどころとし、頼りにして生きていては、結局は虚しい人生に終わってしまうということです。
 
 よくよく考えてみますと、私達が頼りに思い、よりどころ、支えにしているものは、移り変わっていくものがほとんどではないでしょうか。例えば財産もそうです。努力することで増えもしますが、一瞬で失くしてしまうこともあります。身体にしても、まったく予想もしない時に、けがをしたり、病気になったりすることもあります。夫婦や親子、家族や友人も永遠にあり続けるものでは決してありません。いつかは必ず別れていかなければならないのが道理です。移り変わっていくものと言わざるを得ません。このような、移り変わっていくものに目を奪われてばかりいては、結局失くした苦しみや悲しみの中に終わってしまうことになります。
 
 親鸞聖人は、「煩悩具足の凡夫火家無常の世界はよろずのことみなもて、そらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」とお示しくださいました。無常の世界では、たくさんのものを手に入れたい、永遠に持ち続けたいと願ってみても、いつかは必ず移り変わっていくものです。ですから決して変わることのない、阿弥陀如来様のお救いをこころのよりどころとしなさいと教えてくださっているのです。
 
 決して変わらないものを真実と言い、どうしても移り変わっていくものを不真実と言います。まして私たちは、生まれたからには必ず死んでいかなければなりませんから、私達の周りにあるものは、結局置いていかなければならない不真実なものばかりです。だからこそ、たとえいつかは必ず命を終えていくとしても、死んで終わりでない命を生きていること、別れても必ずまたお会いすることのできる世界があることを、こころのよりどころとさせていただくのです。そのこころのよりどころによってこそ、虚しく終わることない人生を生きることが出来るのです。 合掌
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