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法話

再びまた会える世界

 突然ですが、皆さん死について考える事はありますか。「縁起が悪い事を言わないで」とおっしゃる方もおられるかもしれません。ですが、人間の命の本当の姿は、明日の命の保証なんて何一つないものです。生まれたからには必ず死んでいかなければなりませんし、出会ったからには必ず別れがおとずれます。しかし、そのことに目を背けて生きていては、自分の死や、親しい人との別れがおとずれた時に、何も命の解決が出来ていないままになってしまいます。
 
 さて、皆さんは、死んだ後の世界は、どんな世界だと思いますか。もし、死んで終わりであるならば、到底、死を受け入れることはできませんよね。死ぬのは怖い、心細いと思うのは当然です。ですが、浄土真宗の教えは、死んで終わりではありません。人間の命終えた後には、阿弥陀如来様の世界に参らせていただく教えです。お経の中には、阿弥陀様の世界である極楽浄土の事がたくさん説かれてありますが、難しい事よりもなにより、先立たれた方が待っていてくださる世界がある。必ずまたお会いすることのできる世界に参らせていただくことができる。その心強さこそが、浄土真宗の教えの一番大切なところです。
 
 自分がどこに往くのか分からないまま死んでいくのでは、あまりに寂しく、不安なものです。愛する人がどこに往かれたのかも分からないままの別れは、だただ悲しみに終わってしまいます。私がどこに往くのか、亡くなられた方をどこに見送ったかということをしっかり心に頂いていなければなりません。だからこそ、生きている今、私たちが命のかえる場所を教えに聞かせていただかなければならいのです。
 
 私もいつか人間の命終えるその時には、「先立って往かれた方が、待っていてくださる所に、私も参らせていただきます。そして今度はお浄土で、私もあなたを待っているからね、安心していてくださいね」と、お別れできればいいなと思っております。逆に誰かを見送る立場になった時には、「この方はこれからお浄土へ参られていく。先に往って私たちを待っていてくださるのだから、精一杯生き抜いて、再びまた会える世界がある。まっていてくださいね。」とお別れしたいものです。浄土真宗のみ教えをいただく私たちは、死んだらもう永遠に会えなくなるのではなく、また再びお浄土で会うことのできるお別れなのです。
 
 さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならず、まちまいらせ候ふべし。  
 (親鸞聖人御消息)
 
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