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法話

悲しむ力

 お葬式の時に、ご遺族の会話で「悲しいことは早く忘れた方がいい」という言葉を耳にしました。愛する人との別れの悲しみを正面から見つめることは、とてもつらいことです。早く忘れて、出来ればなかったことにして、いち早く平静を取り戻したいと願うのも、当たり前のことかもしれません。しかし、そこに悲しみがある以上、やはり私たちは目をそらしてはいけないと思います。悲しみは人間にとってごく自然な感情です。それに蓋をしてしまうと、本当に大切なものまで見えなくなってしまいます。悲しむということはとても大事なことなのです。
 
  皆さんが、お通夜やお葬式で故人を見送り、四十九日や一周忌の法要を丁寧にお勤めされるのは、その間に個人を偲びながらも、しっかりと悲しむ時間をもつためでもあると思います。その悲しみを通して、その人のことを生涯忘れず、自分の心に刻んでいくのです。そして自分の心の中に亡くなった後もずっと生き続けていくのです。つまり悲しみがあるということは、亡くなった人の事を思い続けていくことが出来るという力を、悲しみを通していただいているのではないでしょうか。人間にはそんな悲しむ力があると思います。もしかすると動物には人間ほど悲しむ力が与えられていないのかもしれません。人間はそうゆうものが与えられているということを、大切にしていくべきではないかと思います。
 
 また、人間というのは、生きている間は、お互いに意地を張って、悪いところを見つけては文句を言いたくなるのかもしれませんが、亡くなった後は、今度は良い面ばかり見えてくるようになるものです。ですから、亡くなった後にもう一度思い返してみることも大切なことなのです。自分の考えより、相手の想いやご恩を素直に受け止めることもできるでしょう。そこに、本当の意味でお互いにもっともっと近づきあえるものがあるのではないでしょうか。
 
 その中で、先立っていかれた人の思いを、残されたものが受け継いでいくのも一つの縁であります。残していく人たちに、ああなって欲しい、こうなって欲しいという、後ろ髪を引かれる思いで私達を心配しながら亡くなっていかれた方もおられるでしょう。そこで、その人の気持ちをしっかり受け止めて、「あなたが悲しまないようにしっかり生きていくからね。お浄土で遭った時には、あなたに褒めてもらえるような私になるからね。」というのも立派な生き方だと思います。
 
 浄土真宗の教えは、人間のいのちが終わっても終わりでない世界があるという教えです。先にお浄土へ往かれた方は、永遠の眠りについているわけではありません。阿弥陀如来様と同じはたらきをする仏様としていのちをいただくのです。この私達の世界にもどってきて、いつでも私のそばにいてくださるはたらきです。私と共に苦しみ悲しみ、共に喜び、お浄土という同じいのちのかえる場所へ導いてくださっているのです。
 
かならずかならず一つところへ参りあうべく候 『親鸞聖人御消息』
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