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法話

苦しみの原因

 生きている限り、煩悩が離れることなく、苦しみ続けているのが人間です。なぜかというと、その苦しみの根源は自分にありながら、苦しみの原因を、正しく知らないからです。幸せを求めても、それが本当に幸せになるものか見定めなければ苦しみになるのです。例えば、こんな笑話があります。
 
 昔、飲み水を売る水屋という職業があったそうです。休みはなく、賃金も安いうえ、重い水の入った桶を運ぶので、年を取ると大変な仕事です。ある水屋が、たまたま富くじを買うと、見事に千両が当たりました。風呂敷きに包んで持ち帰り、「これで水屋から足を洗える」と大喜び。ところが、小判を隠す時になって、はたと困ってしまいました。つづらの中の古着に隠したらいいか、仏壇に隠したらいいか、どこも心配だと、結局、縁の下に隠すことにしました。しかしそれからは、周りの者が皆、盗人に見え、風呂に行くのも気が気でないのです。おちおち寝ることもできず、床に就けば、夢の中で強盗に殺される。仕事の前には、縁の下を棒でつついてコツンと当たるのを確かめて、出掛けるのが日課。夜、寝る前にも確認し、夜中に目が覚めると、縁の下に行って、コツンとやらねば安心できない。フラフラになって、それでも、毎日コツンと確かめているうちに、それを見ていた隣の男が、そっくり盗み出してしまいました。水屋は、荒らされたのを知り、慌てて確かめると、さあ大変。金はすっかりなくなっていました。そこで水屋が一言、「ヤレヤレ、これで苦労がなくなった」と胸をなでおろした。というお話です。
 
 無ければ無いで苦しみ、有れば有るで、それがまた不安の種になるのです。健康だ、金もある、財もある、恋人もいる、明るい家庭もあると言っても、結局はシャボン玉のふくらみでしかありません。変わりゆくものを心のよりどころとしてしまうことが苦しみの原因であると仏教には説かれてあります。
 
 親鸞聖人のお言葉に「四苦八苦の中に愛別離苦これ最も切なり。」とあるように、愛しい人との別れは、苦しみの中でも最もつらいものです。しかし、その別れの苦しみでさえも、原因は自分の中の執着でしょう。変わってほしくない。と思う心と、変わらずに有り続けるものなどないという現実に、苦しみつづけるのです。
 
 そんな、とても一人では解決することのできない苦しみの中に生きている私たちを救いたいと願いを立てられたのが、阿弥陀如来様のご本願です。私たちが、自らその苦しみを無くし、悟りを開いて仏になることが出来る人であれば、如来様は、あなたを救いたいと願いを立てる必要なんてなかったのです。苦悩を捨てきれない私達であると見抜いたからこそ、救わずにはいられないと、願いを立ててくださったのです。如来様の教えは、苦しくても苦しいと思ってはいけないとか、悲しくても泣かずに頑張りなさいという教えではありません。悲しい時は思い切り泣きなさい、でも私がいつでもそばにいます。その苦しみや悲しみをすべて私が引き受けて、本当の幸せに連れて行きます。という慈悲の心なのです。
 
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