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法話

「どうして年回忌をお勤めするのでしょうか」

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 以前、「どうして年回忌を勤めるのですか」と、ご質問を受けた事がありました。今まで「年回忌を早めてもいいのですか」とか、「二つの法事を一緒に勤めてもいいのですか」などの質問はよくありましたが、そんな風に尋ねられたことはありませんでした。一般的に年忌を勤めるのは、ご先祖様や亡き人の為に勤めるのだと言われますが、そこにはなかなか問題もあるようです。
 
 もしも年回忌を勤めなければ、親戚から苦情がきて「忙しいからって年忌も勤めないなんて、死んだあの人も可哀そう」なんて皮肉まで言われるかもしれません。他にも、施主様側が「普段は顔の一つも出さないくせに、法事となると大きな顔をしてやってくる。わずかな御仏前を包み、たらふく飲み食いをして、よい年忌を勤めたと言って、千鳥足で返礼の品とお膳の残りを折詰にしてもらって帰っていく。ご先祖どころか親戚ばかりに気を使った年忌だ」と、愚痴をこぼしていた方もおられました(笑)。誰かの為だというところに立っていると、多かれ少なかれこのような問題も起こりかねないかもしれませんね。
 
 また、自分の為に勤めるのかというと、そこにはそこで、「ご法事を勤めておけば、ご先祖も悪いようにはしないだろう、何かの時には護ってくださるにちがいない」という計算の心がはたらいているようです。不測の事態が起きると「ちゃんと年回忌も勤めているのにどうして。ご先祖様も役に立たない」と、自分の損得の為のご法事になってしまっては意味がありません。
 
 では、年回忌はいったい何のためにお勤めするのかといいますと、そもそもご法事とは、私達の側からでなく、仏となられた方から私達がいただくものです。たくさんの命のつながりの中で私が人間として生まれた喜び。どんな人であっても必ず終えていく命であるからこそ、今を大切にしていかなければならないという気づき。悲しい別れがあったとしても、仏となってそばに居て下さるという心強さ。私が命終えるその時には、同じ帰る場所がある安心。そんな、亡き人からの命の導きをいただくのが本当の年回忌の意味です。
 
 普段は命について考える事も少ない私達が、せめて年に一度だけでも、亡き人の縁を通して、自分の命について、しっかりと見つめて
いく時間にしていただきたいものです。
 
 

 

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