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法話

往生は弥陀にまかせて

 先月、和歌山県白浜にある浄土真宗のお寺に、お彼岸法要の布教で行っていきました。温泉街だけに、沢山のお土産屋がずらりと立ち並んでいました。その中で、ふと目にとまった不思議なお土産。それは、持っていると必ず極楽浄土に行くことが出来るという、切符のようなものでした。売れるはずもなく、ほこりをかぶっていましたが、手にとって見ていると、お店の人は必死で私にすすめてくるのです。そんなに私は困っているように見えたのでしょうか。皆さんならこのお土産を買いますか。
 
 さて、昔、広島県に住んでおられた方のお話しです。広島出身の荒森さんは、二十九歳の時に、自動車の運転手をしているうちに、過労で胸をわずらい、余命があとわずかである事を医者に宣告されました。それからというもの、自分のいのちの往く末を、よくよく仏法に聴聞されるようになり、お念仏を喜ばれるようになった方だったそうです。
 
 病気が進み、重体となった時、一人の祈祷師が「病気を治す祈祷をしてあげよう。必ず治してみせます」とやってきました。応接に出た弟さんは「先祖代々うちは浄土真宗だから、そんな教えは聞く必要ない」といって、追い返しました。これを病床で聞いていた荒森さんは、弟さんに「それは乱暴だ。他人の親切に失礼があっていけない。お通しして。」と言うので、祈祷師が呼び戻されました。そして荒森さんは「私は浄土真宗のみ教えをいただいて、この世もあの世のことも、何の不安もなく生きさせてもらっております。因果の道理もしらされました。死は誰もそむくわけにはいきません。いくら自分であせったところで、それで治るわけではありません。それに私の病気はとても進んでいて、今の医学で力を尽くしても治らない状態になっておりますから、祈祷してもらっても、かえってあなたの教えの迷惑になりますから、どうか、もうおいでくださらないように。」と丁寧に挨拶をして、紙に包んだお礼を渡しました。そして弟さんに、「麦を食べてみて、はじめて米の味わいがよく分かる。私達は、浄土真宗という素晴らしい教えに育てられ、ありがたいことだですねぇ」としみじみ喜んだそうです。
 
 いよいよ病が進み、弟さんから「往生は大丈夫か」と聞かれると、にっこり笑って、句を詠まれたそうです。 
 
自(おの)が決め、ゆくはこの世の ひとり旅、後生は弥陀に、まかせてぞゆく
 
 阿弥陀如来様と共に生きる念仏者の喜びが聞こえてきます。
二十九歳という若さで、往生の素懐をとげられた荒森さんが、仏法の教えの中に、自分のいのちの往く末をしっかりとみつけ、大きな安心をいただいているお姿です。
 
 人間の死は不幸な事であると決めつけ、自分のいのちの終わりの事を考えることは縁起が悪いと、目をそむけていく人生は、きっと不安の中に終わっていくことになってしまうのではないでしょか。自分のいのちの問題を解決して、安心の中に生きる人生を歩んでまいりたいものです。
 
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