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法話

死んでからいい所へ生まれる?

 あるお葬式のことです。お葬式の最後に、ご遺族の方々が、お棺に花を添えて、「最後のお別れ」をしておられました。その時に、ご遺族の中のある方が、亡くなられた方の耳元に向けて、こうおっしゃいました。「いい所に生まれてよ」と。
 
 ご病気などで長い闘病をして亡くなられた方などの場合、ご遺族は「もう苦しまなくていいのだよ」との思いを告げようとされておられます。ですから、この「いい所」という言葉には、この世で経験したような苦しみがない「楽なところ」という意味が込められているようです。
 
  また、若くして亡くなられた方の場合、ご遺族は「残りの人生をまっとうさせてあげたかった」という思いでいっぱいであるからこそ、「いい所」という言葉には、「楽しい世界」へという意味が含まれていることでありましょう。
 いずれも、ご遺族の心中を思いますと、当然のことであると思います。一般に語られる天国や極楽浄土のイメージは、これらの思いからきたものに違いありません。ですが、これだけに終わってしまい、お浄土は「死んでから行くいい所」では、生きている私たちの現在に関わっているとは言えません。つまり、今の私には関係ないということになってしまうのです。
 
 また、昔に先輩僧侶と一緒にお葬儀を勤めた時、子どもさんを亡くされた女性が、「あの子はいったいどこへ行ったのでしょうか」と、先輩に質問されました。先輩は、「あなたはどこへ行きたいのですか」と尋ねられると、じっと考えておられたその女性は、「子どもとおなじところへいきたいです」とおっしゃいました。すると先輩は、「あなたが仏様にならなくては、誰があなたの子どもかはわかりませんよ」とおっしゃいました。この言葉を聞いて、その女性は、それから仏法を聴かれるようになられたそうです。
 
 私たちがお浄土に生まれて行くというのは、私が仏様になっていくことであり、今の私に関わる世界なのです。仏教は「仏様の教え」であるとともに「私が仏になる教え」でもあります。お釈迦様がご出家されたのは、悟りを求め、真理に目覚めるためのことでした。そのお釈迦様以来、仏教の教えを聞く人々は、それぞれ、国や歴史は違っても、自らが人間の苦悩の根本を解決する真理に目覚め、同時に他の人々を慈しむこと、つまり、仏様に成ることを目的とされました。
 
 しかし、私たちは、どれほどこの「仏に成る」ことを望んでいるでしょうか。悩んでも苦しんでも、その苦悩の根本を見ようとせず、ただ目の前の悩みや苦しみが解決さえすればいい、自分が楽になりたい。楽しければそれでいいと思うだけであるように思えます。そういう思いの延長線上だけでお浄土を想えば、お浄土とは「死んでから行くいい所」でしかありません。今の私を見つめ、「私が仏に成る」といことを離れては、お浄土の世界も意味が無いように思えます。合 掌
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