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坊守の俳句エッセイ

子燕の巣立ちて吾の親心   釋法蓮(法子)

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先月の半ば、立徳寺の軒先のツバメの巣から、子ツバメ達が巣立っていきました。思い返せば、ここまでくるのに、私たちはいつも心配し続けてきました。まさに親心。卵をツバメが温めていないことや、親ツバメがある日の一日いなくなってしまったことや、巣から雛が落下してしまったことなど、数えきれません。

その度に、野生動物保護センターに電話をして、指示を仰いだり、実際に落ちた雛を運んだりしました。玄関を開けるたびに親ツバメが警戒をするので、玄関の開閉の音にも気を使っていました。

 そして旅立ちの日。子ツバメたちは、巣からは一応飛び出したものの、まだ地面の上で立っているだけです。その状態でも親ツバメが餌をあげてはいますが、飛ぶ気配は全く見られません。

思い余って保護センターに電話をすると、「親が見守っているので、そのままにしておいて大丈夫です。」とのこと。「でもノラ猫がうろついているんですけど」と訴えれば、「たとえ猫に食べられても、それが野生動物というものです。」ときっぱり言われてしまいました。

次の朝、表の道路には、車にひかれた一羽の子ツバメの姿がありました。結局、無事に巣立っていけたのは六羽のうち半分の三羽でした。

子ツバメ達が巣立った後も、空っぽの巣のそばの電線には、あの親ツバメらしき二羽が今もよく止まっています。いろいろあったけれども、子育てを終えた夫婦の満足感にあふれているような姿です。そして私も同じ気持ちでいます。

 

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