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法話

最後だとわかっていたら

毎月のお寺の法話会に行けば、いつか死んでいかなければならないと聞かされ、嫌になってしまうかもしれません。いつか誰も来なくなってしまうのではないかと心配になる時もありますが、月に一度だけでも、自分の死について考える時間があってもいいのではないかなと、思いもします。自分の死を自覚して生きていくということは、後悔のない一日を生きるということでもあります。
みなさんに「最後だとわかっていたら」という詩をご紹介します。この詩は今から約十年前、二〇〇一年九月十一日のアメリカ同時多発テロ事件で三千人もの人が一瞬で命を落とした事件の時に、貿易センタービルに1機目の航空機が激突した後、救助のため、最初にツインタワー内に突入した数百人のレスキュー隊の内の一人で、今も行方不明の消防士(二十九歳)が生前に記したものを翻訳した詩です。
 
あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら、わたしはもっとちゃんとカバーをかけて、神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう。あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたら、わたしはあなたを抱きしめてキスをして、そしてまたもう一度呼び寄せて抱きしめただろう。あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが最後だとわかっていたら、わたしは その一部始終をビデオにとって、毎日繰り返し見ただろう。あなたは言わなくても分かってくれていたかもしれないけれど、最後だとわかっていたなら、一言だけでもいい、「あなたを愛してる」とわたしは伝えただろう。たしかにいつも明日はやってくる。でももしそれがわたしの勘違いで、今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは今日、どんなにあなたを愛しているか伝えたい。そして私達は忘れないようにしたい、若い人にも、年老いた人にも、明日は誰にも約束されていないのだということを。愛する人を抱きしめるのは今日が最後になるかもしれないことを。明日が来るのを待っているなら今日でもいいはず。もし明日がこないとしたらあなたは今日を後悔するだろうから。微笑みや抱擁やキスをするための、ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと、忙しさを理由に、その人の最後の願いとなってしまったことを、どうしてしてあげられなかったのかと。だから今日、あなたの大切な人たちをしっかりと抱きしめよう。そして、その人を愛していること、いつでもいつまでも大切な存在だと言うことを、そっと伝えよう。「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を伝える時を持とう。そうすれば もし明日が来ないとしても、あなたは今日を後悔しないだろうから。
 
みなさんどんなふうに感じましたか。毎日死ぬかもしれないと思って生きるのは、ちょっと辛いことかもしれません。ですが、その真実に目をそむけて生きていると、きっと後悔してしまうでしょう。
 
この詩にもありましたが、言葉一つにしてもそうです。謝るのがくやしくて、ごめんねが言えなかったり、照れくさいから、ありがとうが言えなかったたりした時に、後で言えればいいですが、伝えることが出来なくなったとき、どれほどの後悔をしてしまうでしょうか。
 
だからこそ、死はまさに今自分のこととして考えていかなければいけません。死を今の自分のこととして考えることが出来た時に、はじめて、この一瞬一瞬を大切に生きることができるのです。そして一つ一つの出会いを大切にできるのだと思います。
 
死を考えることは、決して縁起が悪いことではありません。それどころか。自分の人生を真剣に考えていくうえで、一番必要なことなのです。
 
         合 掌

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