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法話

命の帰る場所

なごりおしく おもえども 娑婆しゃばえんきて
  からなくしてをはるとき 、かのへはまゐるべきなり

                 『歎異抄たんにしょう』第9条

親鸞聖人のお言葉を遺された歎異抄の一文です。「死んだら終わり、生きているうちが花」と言われる方がいますが、それではあまりにむなしいいのちの在り方に思えてなりません。確かにこの世に生をうけた限り、誰もが死をまぬがれることはできません。しかし親鸞聖人は、娑婆(人間界)の縁が尽きた時は阿弥陀如来様のお救いによって、間違いなく浄土へ往生(往き生まれる)していくのだとお示しくださいました。
 
これは、阿弥陀如来様の願いであり、仏となられた亡き方からの願いでもあります。「あなたのいのちも、私のいのちも、浄土へ生まれる尊いいのちをいただいているのですから、その尊いいのちを精一杯生き抜いてください」という願いです。決して「死んだら終わり」のむなしいいのちではなく、私達のいのちは、お浄土へと続いているいのちであったと気付かせられる教えです。
 
私には小学校一年生になる娘がおります。だいぶんしっかりしてきました。ある日、テレビでアフリカ難民のドキュメント番組があり、娘と二人で見ていました。その晩、布団の中で娘が「お父さん、あの子まだ赤ちゃんなのに、死んじゃったの」と質問をしてきました。私が「そうだよ。大人になる前に死んじゃう子もいるんだよ。お父さんもいつ死ぬかなんてわからないんだよ」と答えると、泣きだしてしまいました。
 
そこで「お父さんが先に死ぬか、あなたが先に死ぬかもわからないけど、その時には阿弥陀様にお浄土へ連れて行ってもらうんだよ。お浄土で仏様にならせてもらって、いつでもみているから、心配する必要ないんだよ。みんないつかは死んでいかなきゃいけないけど、お浄土で必ずまた会うんだよ。」と、私が幼い頃、祖母に聞かされた言葉を娘に伝えました。娘は目に涙をいっぱいに浮かべて「うん。わかった阿弥陀様はいい人なんだね」と、なんとも子どもらしい返事をしてきました。
 
そして、「そんな阿弥陀様に有難うございますって言う時には、南無阿弥陀仏って言うんだよ」と、二人で布団の中でお念仏を申させていただいたことでした。人間の死を娘に話す事は、少しかわいそうだったかなと後で思いましたが、人間の本当のいのちの姿とは、まさに無常であり、順番通りの保障なんてどこにもありません。
 
だからこそ、私達のいのちの帰る場所を、娘には知っていて欲しかったのです。 お浄土とは、往く者にとっても、残される者にとっても、生と死を超えていのちを通い合わせることができる世界なのです。自分の命の行く末をしっかりと仏法に聞き定め、死んで終わりでない世界があることを、本当の心の慶びとしていただいてまいりたいものです。

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