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法話

ありがとうの反対語

今年も最後の月を迎えました。今月は「ありがとう」の言葉について考えてみたいと思います。ある先生のお話ですが、「ありがとうの反対の言葉は何だと思いますか」と、学生さんに尋ねると、分からないとう方が多く、「有難うの反対は・・・どういたしましてかな」と、面白い答えが返ってくるそうです。
 
ありがとう、ありがたいを漢字で書くと、「有ること難し」です。ある出来事を「ありがとう」と見ている反対から見てみると、それは「あたりまえ」だそうです。皆さんはお分かりになりましたでしょうか。
 
私達は日ごろの生活を送るなかで、たくさんの事を当たり前として、過ごしてしまっています。例えば、ご飯を食べること、暖かい布団に入って寝ること。他にも、自分が今生きていることや、当たり前のように一緒に家族がいることなど、すべてが当たり前で、特別な事とは、なかなか思うことが出来なくなってしまっているのではないでしょうか。
 
有難いといただく心が起るのは、それが当たり前ではないことに気付くことがなければ、決して起こることのない心なのです。しかしながら、悲しいことに私達人間は、当たり前と思っていることが、当たり前ででなくなるまで、なかなか気づくことが出来ないのかもしれません。
 
以前、奥様を亡くされ、お寺に四十九日のご相談に来られた方が、「妻が生前一緒に居てくれたことは、どれだけ幸せなことであったか、今になって骨身に知らされます。感謝の言葉の一言も言ってあげられなかったことが、悔やまれて仕方ありません」と涙ながらに語っておられました。
 
当たり前と思って過ごしている人生では、幸せが当たり前となり、幸せの中に居ながら、幸せをいただく心のアンテナがだんだんと閉じてしまうのかもしれません。それは人間にとって一番不幸なことなのです。
 
ありがとうではなく、当たり前としか受け取ることができなかった自分に気づき、今自分の周りにあるたくさんの当たり前でないことを、しっかりと見つめていくことで、本当の幸せをいただけるのではないでしょうか。
 
言葉で「ありがとう」というのは簡単です。「人に親切にされたら、ありがとうと言いましょう」という、昔からの道徳も、その言葉自体が大切なのではなく、そこに当たり前でないという感謝の思いが必要であるということでしょう。
 
年の暮れにこの一年を振り返って、まったく当たり前のことなど何一つもなく、有難い日々を送らせていただいていたことを、今一度思い定め、感謝の思いで新しい年を迎えていきたいものです。     合 掌
 

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