ホーム>立徳寺だより>法話>苦しみや悲しみが、知らせてくださる教え
法話

苦しみや悲しみが、知らせてくださる教え

今月は鈴木章子(すずきあやこ)さんという、お念仏を喜ばれた方をご紹介します。以前にもご紹介させていただいたことがありますが、北海道のお寺の坊守さんです。この方は四十九歳の若さで乳癌を患い、旦那さんと四人の子どもさんを残してお亡くなりになりました。
ご生前、鈴木章子さんは、「私は癌をいただいたおかげで、仏法に出遭わせていただいた。癌にでもなって自分の命を真剣に考えることがなければ、私は一生気付かずに終わってしまったかもしれないけれども、今は、自分の命の帰る場所があることを仏法に聴かせていただくことができた。」と涙ながらに話しておられたそうです。
 
まず、寝たきりのベッドの上で気づいたことは、財産も肩書きも、旦那様も子供も、皆持ち物にすぎないという事だったそうです。いざというときは全部置いてゆかねばならないものばかり。そんなものに目がくらむと、得たといって酔っ払い、失ったといって死にたくなるほどに嘆き悲しんでいる私たち。これさえ手に入れば最高に幸せと思い込んでいたものが、いかに中途半端なものであったか、自らの癌によって気付いていかれたのでした。
 
そんな鈴木章子さんが、お亡くなりになる二ヶ月ほど前、自宅で静養されている時のことでした。旦那様が「夜、知らないでいるうちにお前が息をひきとったら困るから、同じ部屋で寝る」という言葉に対し、章子さんは、「あなたが同じ部屋で寝てくださっても、いざというとき一緒に死んでいただくこともできないし、代わって死んでいただくこともできません。一人でいても二人でいても同じこと。それよりお父さん、子ども達のためにも、体を休めてほしいから、二階と一階で別れて寝ましょう」とおっしゃったそうです。その時に鈴木章子さんが詠まれた、「おやすみなさい」という詩をご紹介します。
 
『おやすみなさい』
 
「お父さんありがとう。また明日会えるといいね」と手を振る。
テレビを観ている顔をこちらに向けて
「おかあさんありがとう。また明日会えるといいね」と手を振ってくれる。
今日一日の充分が胸いっぱいにあふれてくる。
 
この詩の「お父さんありがとう」の一言の中には二十年余りの夫婦として共に歩むことが出来たことへの感謝の想いがあるのでしょう。しかし、「また明日会えるといいね」と、切なる思いで願ってみても、間違いなく明日を迎えることが出来るという生命の保証が無いのです。
 
今夜お迎えが来るのかも知れないという中で、永遠の別れの思いをこめて「おやすみなさい」と言葉を交わして、二階と一階に別れて眠りにつくのです。幸い朝が迎えることが出来た時には、「お父さん、会えてよかったね」「お母さん、会えてよかったね」と心おどる思いで挨拶を交わされたそうです。
 
鈴木章子さんは、「四十六年の人生で、こんな挨拶を一度だってしたことが無かった。健康にまかせて、忙しい毎日の中で、うわの空の挨拶しかしてこなかった。私は癌をいただいたお陰で、今は一度一度の挨拶も、恋人のように胸おどらせて挨拶ができるようになった」と喜びの中で語っておられました。
 
人生には喜びも悲しみも、愛も憎しみも成功も失敗も、健康も病気も、同じようにとりそろえてくれているのです。むしろ思うようになることばかりの人生では、幸せが当たり前となり、幸せを幸せといただくアンテナが無くなってしまうのです。そして、それは人間にとって一番不幸なことなのかもしれません。思うようにならない人生や、悲しみや苦しみによってこそ、私の聞く耳が開け、人生を大きく変えてゆくことができるのです。  
 
「悲しいことであった、苦しいことであった、お恥ずかしいことであった、しかし、これがあったからこそ、お念仏にあわせていただいた。お浄土へ生まれていく道に出会えた」と、一切すべての事柄を拝む心に恵まれたとき、災難にあってもよし、死んでもよし、生きてよし、いいことができてよし、できなくてもよし、何が起きようが、阿弥陀様と一緒に生きて、共にお浄土へ生まれていくのだと、大きな安心をいただくことができるのです。
 
最後にもう一つ、鈴木章子さんが、家族に残された詩をご紹介します。
 
死の別離の悲しみの向こうに 大いなるふる里の灯りが見える
慎介、啓介、大介、真弥、あなた この灯りをめざして歩んで欲しい
あなた・・・ 私の還ったふる里 子供達に教えてあげて
 
どんなにすばらしい浄土に帰ることができたとしても、人として別離の悲しみを消すことはできません。しかし、その悲しみ中にありながらも、鈴木章子さんは、「たとえ人間としての命を終えても、今度は仏としての命に生まれていくのです。命の帰るふるさとがあるのですよ。そのことを忘れずに如来さまの光を目指して人生をあゆんでほしい」とおっしゃっているのです。
 
浄土真宗の教えを聞かせていただくものにとって、死は命の終わりではないのです。だからこそ残されたものに「どうか、あなた達も別れの悲しみが、私のように喜びになってほしい」と同じ念仏の道を、死んで終わりでない道を歩んでほしいと願っておられる詩でありました。
 
          合 掌

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.ryuutokuji.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/78

ページ上部へ