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法話

亡き方がお喜びになるご法事

 今までに何度か、皆様もご法事に参加されたことがあるかと思います。また、施主としてご法事をお勤めされた方もおられることでしょう。そのご法事ですが、一体何の為にお勤めするのでしょうか。
 
一般的にご法事は、亡き方のために行う仏教儀礼のように思われがちですが、浄土真宗では少し違います。ただ、亡き方のためを思い、亡き方がお喜びになるご法事を勤めたいという気持ちは、宗派の枠を超えて、残された者の願いでありましょう。
亡き方がお喜びになるご法事とは、一体どんなご法事しょうか。それは、多額のお布施をだして、僧侶にお経をあげてもらうことでも、豪華なお供えをすることでもありません。
 
仏となって私たちをいつでも心配し、私の喜びを自らの喜びとしていてくださる方がおられる。その心強さの中に、自分の人生を精一杯歩んでいく姿こそ、何より亡き方がお喜びになることなのです。
 
さて、毎年夏には、全国各地で夏休みを利用して、お寺での子ども会が開かれます。昨年も神奈川県西部のお寺が集まって子ども会を開催いたしました。その時のことですが、最初のオリエンテーションの時に、「二泊三日楽しんでください。帰ってお父さんやお母さんにたくさんお土産話をしてあげてくださいね」という司会者の言葉に、一人うつむいている、小学校五年生の女の子がいました。
 
子ども会が始まって、昼間はゲームやウォークラリーをしたり、夜はキャップファイヤーをしたり、もちろん一緒にお経をあげたり、仏様の話を聞く時間もありました。仏様のお話を聞いた後に、子ども達に感想文を書いてもらったのですが、オリエンテーションでうつむいていたあの女の子が、こんな作文を書きました。
 
私にはお父さんもお母さんもいません。私が生まれてすぐに交通事故で死んでしまったそうです。おばあちゃんにききました。おばちゃんは、いつもお父さんとお母さんは阿弥陀様になったんだよって言っています。だから今日お坊さん先生が、阿弥陀様がいつも見守ってくれてるんだよって言っていたので、とても嬉しかったです。お父さんとお母さんが悲しまないように、がんばって勉強しようと思います。
 
この作文を聞いて、その女の子がオリエンテーションの時にうつむいていた理由がわかりました。土産話をしたくても、話す両親がいないのです。両親がいないことで、いままで悲しい事やつらい思いもたくさんしてきたことでしょう。ですが小学校五年生で、こんなにも素直に仏法をいただいている姿に私は涙が出そうになりました。
 
その子は、亡くなった自分の両親を、今まさに、仏様のハタラキとして感じているのです。仏となって、いつでも自分のそばにいてくださるという喜びをいただいているのです。そして、その喜びをいただきながらも、私を心配していてくださる両親を悲しませないようにしたいという思いがあるのです。
 
この女の子は、これからも両親が居ないことで、寂しい思いをすることがあるかもしれませんが、きっと心強さと安心の中に生きていくことができるのだろうと感じました。あらためて私自身もその子に御説法いただいたような気持ちになりました。
 
私たちもこの小学校五年生の女の子がいただいたような心を、ご法事で感じさせていただきたいものです。それこそが、浄土真宗のご法事の本当の意味なのです。  
 
合掌

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