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法話

籠を水につけよ

今月の法話は、蓮如上人のお言葉より味あわせていただきます。

 

そのかごをみずにつけよ、がみをばほうにひてておく べき 

                            (蓮如上人後一代記聞書)

 

これは五百年も前のことですが、ある人が蓮如上人に自分の心を素直に告白して言いました。「仏様のお話を聞かせていただき、その場では有り難く尊いものであると思っていても、何日か経つと、まるで籠からすくった水がぼたぼた落ちるかのように、仏法の有り難さも忘れて、元の状態に戻ってしまいます。どうすればいいのでしょうか。」

 
そう言われた問いに対して、蓮如上人は「そのかごを水につけて、我が身を仏法に浸しておきなさい」とお答えになりました。つまり、籠に水を入れようとするのではなく、籠自体を水に浸しておくかのように、自分自身を常に仏法に浸しておけばいいのですと、おっしゃったのでした。
 
皆様もこんな思いを持たれたことはありますでしょうか。私にはこのお言葉が、「忘れてしまうことを悲しむよりも、聴くことを楽しみなさい」と蓮如上人が仏法の正しい聴き方を、優しくさとしてくださっているようにも思えます。
 
また、「籠を水につけよ」とおっしゃったお言葉の中には、自分が籠ですくうのではく、籠に水が入ってくる様子を、他力の信心として示されているようにも思えます。
 
その他力の信心に対し、自力の信心というのは、自己のはからいの中で仏法を捉えようとすることです。ところが、自分の心はなかなか思い通りになってくれるものではありませんから、「考えるな」といっても余計なことを考え、「信じなさい」と言われても信じきれないところがあります。「任そう」と自分に言い聞かせても、任せきれていない自分があったりします。結局どこか不安を抱き、安心していることが出来ない。これが自力の信心であり、「籠に水をくむ」行為なのです。
 
そうではなく、蓮如上人がお示しくださったのは、苦悩する私を丸ごと包み込んで、「苦しい時も悲しい時も、どんな時でも私がそばにいるのですよ。人間の命終える時には、私が必ず浄土という命の故郷へ連れていきますよ。」と常に私を照らしてくださる、阿弥陀如来様の慈悲のお心をそのまま喜ばせていただきなさいと教えてくださったのです。それが他力の信心であります。その安心をいただくことが「水に籠をつける」ということなのです。
 
蓮如上人は、常に今の自分が、阿弥陀如来様の無辺の慈悲に包まれていることを感謝されながら、八十五年のご生涯を過ごされました。
 
いつどこでどんなことがあろうと、私は今すでに仏様の大きな慈悲に抱かれている身なのだという、絶対の安心の上に築かれていく人生こそが、浄土真宗の教えに生きる姿だと言えるのです。
 
一年後のお金儲けや、何ヶ月後の病気の全快や、老後の保障を願うのが浄土真宗の教えではありません。無常の世にあって、今日一日を生かされている自分を見つめながら、感謝の中に思いを新たにして行くのがお念仏の日ぐらしなのです。     合掌
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