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法話

お盆の迎え方

お盆の時期がやってまいりました。毎年、高校野球を車のラジオで聞きながら、分刻みの予定でお盆参りを勤めるのも、半分楽しみのようでもあります。さて、今月の法話では、浄土真宗でのお盆の迎え方についてのお話です。

 

浄土真宗のお盆

 
「お盆」とは、正しくは「盂蘭盆会」(うらぼんえ)といい、また浄土真宗では「歓喜会」(かんぎえ)ともいいます。お釈迦様のお説きなった「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」という教えがもととなっています。
 
 お釈迦様のお弟子様であった目連尊者が、亡くなった母を餓鬼道という苦しみの世界から救い出すお話が説かれています。そのお話を通して、他の誰かではなく、私自身が仏法を聴き、浄土へ生まれる真実の教えに目覚めていくことが浄土真宗のお盆の本当の意味なのです。
 
そして、尊い仏さまとなられた亡き人を偲ぶとともに、故人に導かれて我々の日常の生き方を省み、命の尊さや、欲を離れた施しの大切さを考える期間でもあります。
 
本当は毎日そのような命や施しの大切さを考えるべきなのでしょうが、なかなかできないのが私たち。ですから「せめてお盆の間ぐらいは考えましょう」と設けられたのがお盆の行事なのです。
 
昔から「せめてお盆の間ぐらいは殺生するな」と言われてきたのもそのような意味からです。
 
 
お盆には亡き方が帰ってくる?
 
俗には、お盆になると地獄の釜のふたが開き、亡き方が戻ってくる。キュウリの馬でお迎えし、三日経つと茄子の牛に乗せて、また地獄に送り返す。そのような、なんだか先祖を敬っているのか、いないのか、よくわからない風習もあります。
 
浄土真宗では、お盆に亡き方が帰ってくるという考え方はいたしません。というより、すでに帰ってきているといただきます。
 
人間の命を終えた方は皆、お浄土へ仏としてお生まれになり、その仏になられた方のハタラキとは、この娑婆世界で迷い苦しむ私たちを導いてくださるハタラキです。嬉しい時も辛い時も、共に喜び、共に悲しみ、いつでも私たちの傍で、勇気付けていてくださるのです。
 
 
仏壇のお飾りの仕方は?
 
やはり、お盆で気にかかるのはお仏壇の荘巌(お飾り)ですね。「お盆のお飾りはどうしたらいいでしょうか。何をお供えしたらいいのか・・・」といったご質問をよく受けます。
 
各地の風習もざまざまで、迷ってしまう方も多いと思いますが、結論から申しますと、浄土真宗ではお盆に特別な荘厳はありません。お盆独特のお仏壇の荘厳がないということが浄土真宗の特色ともいえるでしょう。            
そもそも浄土真宗でのお仏壇とは、先祖をおまつりするものではなく、阿弥陀如来をご本尊として安置するところです。
 
私たちは、阿弥陀さまによって救われていくのであり、今は亡き方を救われたのも、他ならぬ阿弥陀さまです。亡き方を偲ぶ中で、阿弥陀さまのみ教えに出遇ったならば、亡き方が今生の命にかえて伝え残してくれたのが、私目身を救って下さる阿弥陀さまのみ教えであると、いただくことが出来るのです。
 
そして、その教えに遇わせて下さった亡き方のご恩を思う。それが浄土真宗のお盆なのです。
 
このようにお話をすると、「浄土真宗は楽でいいですね」とおっしゃる方がいますが、とんでもない。他宗よりも大変です。いつでもどこでも仏となって、帰ってきて下さっているのですから、毎日がお盆といってもいいのです(笑)。        
 
                                合掌

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