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法話

正信偈に聴く④

弘経大士宗師等(ぐきょうだいじしゅうしとう) 拯済無辺極濁悪(じょうさいむへんごくじょくあく)

道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん) 唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)

 

(弘経の大士・宗師等、無辺の極濁を拯済したまふ。
            道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと)

 

今月の法話は、正信偈の最後の四行です。「阿弥陀如来様のお救いを広めてくださった七人の高僧は、濁りの世の中で迷い苦しみ続けている私達を救いあげようと、この世に生まれてこられたのです。この世に生を受けた人々は、出家とか在家とかの区別なく、心を同じくして、七高僧が口をそろえてお説きくださっているお念仏を、ただただ信じさせてもらおうではありませんか」と親鸞聖人が正信偈の結びとして、私達に勧めてくださいました。

 
「信ずる心一つで救われていくのだから、どうか、一日も早く、親鸞と同じお念仏の世界に向かってほしい、そして私達一人一人が願われた仏の子どもであることを、心の支えにしてほしい」と、繰り返し叫ばれる聖人のお姿が目に浮かぶような『正信偈』の最後です。
 
聖人が命がけで勧めてくださったのは、阿弥陀如来の本願はじまり、お釈迦さま・七高僧のご苦労があって、やっと私に至りとどいてくださる信心です。
 
さて、少し前のことですが、台所で洗い物をしている妻に「今、心の底から信じられる人はいる?」と尋ねました。「そうだな~両親なら信じられるかな」と。「他には?」と尋ね返すと、「う~ん。そのくらいかなぁ~」と・・・・。 ちょっと寂しい気持ちの中、これからは、もうちょっと優しくしてあげようと反省しました(笑)。          
 
 
  自分が心で何かを信じることを信心といいます。しかし、神様や仏様を信じる事だけが信心ではありません。心で何かを支えとし、頼りにしているのも、皆、信心です。
 
「私は何も信じていません」という人も、自分の信念を支えにしているでしょう。お金や恋人、家族もそうです。人は何かを信じなければ生きてはいけません。
 
しかし、私たちは信じていたものに裏切られた時、深い悲しみや苦しみに出会うのです。本当の幸せを求めるのであれば、決して裏切られることも、無くなることもない、正しい信心を持ちなさいと、聖人がこの正信心を明らかにされたのが、『正信偈』なのです。

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