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坊守の俳句エッセイ

鞦韆(しゅうせん)の鉄のにほひの掌(たなごころ)   釋法蓮(法子)

ブランコ.gif

私の最近のブームは娘と公園へ行くことです。夏と秋は蚊が多いのと、冬は寒いのですっかり足が遠のいていましたが、春めくこの頃、午後は公園で過ごすのが日課となっています。子供を遊ばせに来た同じ年頃の子を持つ母親とおしゃべりをしたり、娘と一緒に空の下で遊ぶのは、とても楽しいものです。
 娘は公園に着いて真っ先に向かうほどブランコ(鞦韆)が大好きです。私も子供の頃、近所の神社の境内にあるブランコが自分の指定席のように毎日乗りに行っていたものです。

 ブランコは四月の季語です。何故春の季語なのかというと、この時期のブランコが格別に長閑で趣があるものと見られているからです。長閑なイメージの反面、またなんとなく淋し気な感じもあります。日が傾き始めると、ブランコを漕ぐ音も悲し気に聞こえ、だんだん家が恋しくなってきます。そして家路に着くのですが、手のひらにはさっきまで握っていたブランコの鉄の匂いがずっと消えなかったのをよく覚えています。そんな思い出をこの句にしたのです。

 今私も娘の隣でブランコに乗るのですが、昔のようにはいきません。まず座席にギリギリお尻は入るのですが、足が曲げられないため、漕げません。昔は勢い余って一回転をしてしまうのではないかとすら思える程だったのに。そんな私の横で娘は最近一人で漕ぐ方法を覚え、楽しそうにいつまでも漕いでいます。そしてふと気付いたのですが、ブランコに乗ったはずなのに私の手のひらは何の匂いもしません。きっと子供の頃は落ちないように、ぎゅっと力を込めて握り、長い時間乗っていたから匂いが付いたのだと思います。代わりに今は娘の手のひらが、そのようになっていることでしょう。

 

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