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法話

正信偈に聴く①

 

 帰命きみょう無量むりょう寿じゅ如来にょらい  南無なも不可思議光ふかしぎこう
 
 
『正信偈』の最初の2句ですが、浄土真宗の流れをくむ私達にとって、とても親しみ深いご文です。先日、葬儀社の方が、お葬式にあたって、九州から出て来られて間もないご遺族に「ご宗旨はどこですか」と尋ねられたそうです。よく分からないといった顔をされておられたので「お経さんはどんなのでしたか」と聞くと、「帰命無量如来です」とお答えになったそうです。
 
浄土真宗や正信偈という言葉は知らなくても、お経といえば「帰命無量寿如来」と覚えているのは、このお勤めが、遠い祖父母や両親の声として伝えられ、私達に届いてくださっているからでしょう。
 
 さて、この『正信偈』は、親鸞聖人がお書きになった『教行信証』の中に出てくる、六十行百二十句のご文です。親鸞聖人が阿弥陀如来様の救いの心を深く味わわれ、そのお徳をよろこばれた偈(うた)であります。
 
まず、「帰命無量寿如来」についてですが、親鸞聖人は「帰命は本願召喚の勅命なり」とお示しくださいました。欲をおこし、苦悩の生活を送る私達に、「どうか私を頼りにし、安心してまかせなさい。」という、阿弥陀如来様のよびごえであるとおっしゃられています。そして無量寿という限りのない命をもって、一人残さずお救いくださる、如来様の慈悲(じひ)のはたらきをいわれているのです。
 
「南無不可思議光」の「南無」も「帰命」と同じ意味で、不可思議光という、私達人間がとうてい計りつくすこともできない光のような、如来様の智慧(ちえ)によって救われていくことをいわれています。つまり、限りのない寿命と、さまたげられることのない光明によって、いつでも、どこでも、誰でも、必ず救うという阿弥陀如来様のおはたらきを称えられているお言葉なのです。
 
すこし難しくなりましたが、親鸞聖人は、この最初の二句で、南無阿弥陀仏のお念仏のいわれをお示しくださっているのです。私達が普段お称えするお念仏は、「まさに子を想う母のごとき如来様の親こころによって、私の口に出ていてくださるのだ」と、親鸞聖人はよろこばれておられました。
 
子供が「お母さん」と呼ぶ時、確かに呼んでいるのは子供ですが、呼ばせているのは母の愛なのです。どんなに愚かな私であっても、決して見捨ててくださらない、如来様の願い、親ごころに包まれて、お念仏の日暮を送らせていただきたいものです。
                   合 掌

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