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法話

恩を報ずる講(つどい)

報恩講とは、罪悪深重の私たちが、お浄土へ生まれていく道を、親鸞聖人がそのご生涯をかけて、求め伝えてくださったご苦労を偲び、私たちに伝えてくださった、阿弥陀如来のお救いを喜ばせていただく、一年で一番大切なご法要です。ですから、古来より、浄土真宗のご門徒の皆様は、毎年欠かさず報恩講を勤めてこられました。
 
 親鸞聖人がいてくださったからこそ、生きる喜びを与えてくださる如来様の教えに、出会うことができたのだと、報謝の想いの中で勤めてこられたのです。皆様に、金子みすゞさんがお作りになられた『報恩講』とうい詩をご紹介します。
 
 
「報恩講」
 
「お番」の晩は雪のころ、雪はなくても闇のころ。
くらい夜みちをお寺へつけば、とても大きな蝋濁と、
とても大きなお火鉢で、明るい、明るい、あたたかい。
大人はしっとりお話で、子供は騒いじゃ叱られる。
だけど、明るくにぎやかで、友だちゃみんなよっていて、
なにかしないじゃいられない。
更けてお家にかへっても、なにかうれしい、ねられない。
「お番」の晩は夜なかでも、からころ足駄の音がする。
 
 
金子みすゞさんの生誕の地、山口県長門市というところは、浄土真宗の教えが根付く、とてもご法儀の篤いところです。その地域の方言では、報恩講を「お番」と言うそうです。
 
報恩講には大人も子供もお寺に集まり、朝までみんなでご聴聞をされ、大きな火鉢とご法話に、大人は身も心もあたたかくなる。子供は、両親や祖父母に連れられて夜道を歩き、ワクワクしながらお寺に着くと、いつもよりも大きなロウソクやたくさんの人を見て、はしゃいでは叱られている。大人も子供もそれぞれ、心温まる嬉しさに、家に帰ってもなかなか眠れない。
 
この詩の風景は、私が幼かった頃の田舎の報恩講と似ていて、なんだか懐かしさを感じる詩です。報恩講は、私達が心安らぐ温かい御仏の教えを、みんなで聴き、みんなで慶びあう、仲間の集いです。そして、お一人お一人がその教えに照らされて、自分自身の姿をもう一度省みる期間でもあるのです。
 
蓮如上人は御文章というお手紙の中で、「報恩講には、みなさんそれぞれが、親鸞聖人の御影の前で、普段の愚かな行いを悔い改め、自分自身を見つめ直してください。それこそが、報恩講の本当の意味であり、すなわち聖人のご恩に報ずるということなのです」と、おっしゃいました。
 
普段は愚痴ばかりでる愚かな私が、まさに救われていく身であったことを気付き、慶びの中にお念仏を申す身にさせていただくのが、報恩講のご法縁なのです。 

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