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法話

彼岸と此岸~二河白道の喩え~

今月は秋のお彼岸を迎えます。彼岸とは極楽浄土のことで、それに対して私たちの生きている世界を此岸(しがん)といいます。この此岸から彼岸へ渡る道、お浄土へ生まれる道を、善導大師という中国のお坊さんが、『観経疏』というお経の中に、「二河白道(にがびゃくどう)」という喩えで書かれています。今回の法話で、少し皆さんにご紹介します。
 
 ある旅人が西に向かって進んで行くと、何もない荒野で火と水の河に出会います。南側に火の河。東側に水の河。河の幅は百歩ほどで、さほど大きな河ではないテキスト ボックス:  けれども、底がありません。ただ橋のように一筋の白い道(白道)はあるのですが、その道は人一人渡れるほどの細い道で、火と水が両方から押し寄せてきています。後ろ側からは賊の群れや、悪獣が自分を殺そうと迫ってきています。
 
前に進んでも、後ろに下がっても、そのまま止まっていても死を免れない状況の中で、白い道を渡ろうとすると、東から「その道を進め」という声。西から「すぐに来てください。あなたをずっと守りつづけますよ」という声がするのです。その声に従い、その道を渡ると、難をのがれ善き友と遇うことができた。という喩え話です。
 
 皆さんならこの絶体絶命のピンチにどうしますか。実はこの旅人は私たち自身の姿を現されています。彼岸と此岸を分かつ火と水の河とは私たちの苦しみの原因となる欲望や、思い通りにならない時の怒りの心を指しています。だから底がないのです。その悪の心が彼岸(お浄土)へ向かう道を閉ざしているのです。
 
地位や名誉や財産に振り回されている、盗賊のような私の心も此岸で渦巻いています。しかし、そんな私たちにお釈迦様は此岸から、「信じて進め」と励ましてくださり、彼岸からは阿弥陀如来様が「私にまかせて、信じてきなさい」と呼びかけてくださっているのです。そして、その目の前にある白道こそが、南無阿弥陀仏のお念仏なのです。阿弥陀如来様のお救いにおまかせをする道なのです。
 
つまり、私たちはじっとしていても必ず人間の命を終えていかなければなりません。そして、欲望や怒りの心を無くすことができない私たちは、その河を渡ってお浄土へ行くことはできないことをあらわされ、ただ阿弥陀如来の救いにおまかせをする道(白道)しかないとお示しくださっているのです。
 
浄土真宗のお彼岸とは先祖供養のためでは決してありません。亡き方が残してくださったご縁の中で、悟りの世界へ渡るための自らの行いを省みる期間なのです。そして、私のいのち終わる時は、お浄土へ生まれるのだという、大きな安心の中で精一杯生き抜くことができる人生に目覚め、お浄土へ向かう人生を亡き方が仏となって、私たちに薦めていてくださることを、あらためて気付かせていただく期間なのです。これからのお彼岸のご法要やお墓参りの時にも、どうぞ思い出してくださいね。                                                合 掌

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