ホーム>立徳寺だより>坊守の俳句エッセイ>春を待つ習い始めしピアノかな   釋法蓮(法子)
坊守の俳句エッセイ

春を待つ習い始めしピアノかな   釋法蓮(法子)

ピアノ.gif

最近娘が、学校でお友達からピアノを習ってきては、家で弾いています。先日は『エリーゼのために』の冒頭部分だけ繰り返し弾いるのです。「お母さんこの先分かる?」と聞かれ、最後まで弾いてあげると、主人も一緒に驚いていました。

 立徳寺の本堂にあるピアノは、私が小さい頃、家族で使っていたものです。古い割にそんなに汚れていないのは、私がほとんど練習をしていなかったからです。ピアノを習っていたのに、お教室へ練習して行かないのです。

だいたいの理由はピアノが本堂にあって面倒なのと、夜は怖いのと、冬は寒いからだったと思います。当然、毎回ぶっつけ本番なので、ものすごく下手でした。先生はイライラ。いつもヒステリーになっていました。

練習すればいいのに、ポリシーのようにしないのです。ただひたすら辞めたいと願い両親に懇願しても、これだけは聞き入れてくれませんでした。

 私にはピアノの才能がなく、好きではなかったのです。子どもでも、そのくらいは自分で分かります。好きこそものの上手なれ。でも憧れて始めたいと言い出したのは自分なので、責任があります。

やっと中学生になって辞めることが出来た時は、本当に嬉しかったです。辞めてから、ピアノ女子の憧れの曲『エリーゼのために』の楽譜を買ってきて、独学で弾けるようになりました。そして私が今でも弾けるたった一つの曲。今、ピアノは嫌いではなくなりました。

 

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.ryuutokuji.com/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/131

ページ上部へ