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坊守の俳句エッセイ

コスモスの揺れて思い出巡りけり   釋法蓮(法子)

コスモス.gif

コスモスが盛りを過ぎ、淋しげに咲いている季節です。いよいよ秋の終わりを感じます。コスモスを見ると必ず思い出す友人がいます。

小、中学校からクラスで一番頭が良く、メガネをかけた、いかにもガリ勉という女の子でした。その子と、小学三年生当時、はやっていた交換日記をしてみたく、私からお願いして、快く引き受けてもらいました。

すると、彼女は思いのほかとてもユーモアがあり、絵も文章も上手で、素晴らしい日記を記してくれたのです。それが何と、断続的ではありますが、中学三年生まで続いたのです。

中学生の頃、夢見がちな私たちは、放課後よく、くだらないおしゃべりを延々としていました。その時、私が「私って花に喩えると何かな」と聞くと、その子は即答で「コスモス」と答えました。

それはとても意外な答えでした。私にとってコスモスは繊細で美しいイメージだったので。はっきり物を言う彼女はお世辞を言う人ではありません。しかし、そのコスモスの理由を聞くと、何故か最後まで教えてくれませんでした。

いったいどうしてコスモスなのか、さっぱり分かりません。その後、彼女とは疎遠になってしまいましたが、今でもコスモスを見て、私を思い出してくれているのでしょうか。

 

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