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法話

宗祖降誕会

尊者阿難座よりたち 世尊の威光を瞻仰(せんごう)し 生希有心とおどろかし 未曾見とぞあやしみし

     

今月二十一日は、親鸞聖人のお誕生日です。「宗祖降誕会」と称して、本派の寺院では、お祝いの法要行事が営まれます。そして京都のご本山では、毎年降誕会のお晨朝(朝のお勤め)に、この御和讃が詠まれています。
 
 お釈迦様が、これから無量寿経をお説きになられようとしたその時に、阿難尊者が座より立ち上がり、お釈迦様の清らかで尊く、光り輝くお姿を仰ぎ見て、なんとありがたいことかと驚き、これまで見たこともないお姿であると思われた。という御和讃です。
 
 阿難尊者はお釈迦様のいとこにあたり、十大弟子の一人に数えられます。お釈迦様の侍者として、お亡くなりになるまで、身辺を離れることなく仕えていた人といわれています。しかし、この時はまだ、阿難尊者は羅漢(聖者)のさとりに達していなかったといわれています。お釈迦様が阿難尊者を相手に、無量寿経をお説きになったのは、この教えが聖者や善人にむけられたものではなく、さとりを得ることのできない者、煩悩を捨てきれない者こそが、阿弥陀如来のご本願において、一番の目あてであることを示されているのかもしれません。 
 
 この後、「なぜ今日は、そんなに光輝くお姿を示されるのですか」という阿難の問いが、実にお釈迦様のお心にかなったもので、お釈迦様がこの世に生まれられた理由である、阿弥陀如来の本願が説かれることになったと、聖人は御和讃で讃えられています。『般若経』や『法華経』など仏教にはたくさんの教えがある中で、お釈迦様が、その光輝くお姿でお説きになろうとされた無量寿経が、どれほど素晴らしい教えであるかを、阿難尊者は瞬時に悟られたのでしょう。
 
 親鸞聖人も、真実の教えは大無量寿経であると、教行信証に示されています。そして、その素晴らしい教えに遇うことができたのも、お釈迦様がお生まれになり、阿弥陀如来の本願を伝えてくださったためであったと味わわれたのです。私たちにとっては、親鸞聖人がお生まれくださったのも、まさに阿弥陀如来様の教えをお伝えくださるためであり、そしてその教えを今まさに、私たちが聴かせていただいているのです。         合 掌
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