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立徳寺だより

最近親しい人を亡くされた方へ

大切な方を失われ、深いご悲嘆の事と、哀心よりお悔やみ申し上げます。
亡き方は私たちにたくさんのものを残してくださいました。ご生前のご苦労はもとより、
私たちはどんなに愛しい人であっても、必ず別れていかなければならないことを、
自らの死をもってお示しくださっているのです。
 
いまや故人は、阿弥陀如来様のみ手に抱かれて、仏となっておられることでしょう。
仏様の教えの中には倶会一処(くえいっしょ)という教えがあります。
またひとところで善き人と会うという意味です。私たちも、いつか必ず人間の命を終える時が来ます。
その時には、今度は仏同士として、お浄土でお会いすることができるのです。
それまで、先に仏となっていつでも私たちを心配し、見守り続けてくださっているのです。
 
仏になられた方が、私たちが悲しむ姿を見て、どうしてお喜びになるでしょうか。
それよりも、いつでも仏となって傍にいてくださるのだと、心の糧として、
この人生を感謝のお念仏の中で精一杯生き抜いていく、そんな姿を見られた時に初めて、
故人はお喜びになるのだと思います。
 
親しい人を亡くすことは、とても大きな悲しみです。
しかし、その悲しみを、ただただ悲しみのまま終わらせないでください。
その悲しみの中から皆さんに、心強さを気付いていただきたいのです。
 
「あなたに会えてよかった。あなたのおかげで本当に良い人生でありました。
今度はお浄土でお会いしましょう。それまで、あなたの分まで、精一杯生き抜いていきますよ。
いつでも見ていてくださいね」と、悲しみを心強さに変えていくことが、亡き方の死を無駄にしないということです。
 
そして、残された皆様が、この悲しみや苦しみを御縁として、
仏様の教えを聞かさせて戴く身になることが何よりも大切なことなのです。
 
 
皆様に「千の風になって」という詩をご紹介します。
 
 
 
私の墓石の前に立って 涙を流さないでください。
 
私はそこにはいません
 
眠ってなんかいません
 
私は1000の風になって 吹き抜けています
 
私はダイアモンドのように 雪の上で輝いています
 
私は陽の光になって 熟した穀物にふりそそいでいます
 
秋にはやさしい雨になります
 
朝の静けさのなかであなたが目覚めるとき
 
私はすばやい流れとなって駆け上がり
 
鳥たちを空でくるくると舞わせています
 
夜は星になり、私はそっと光っています
 
どうか、その墓石の前で泣かないでください
 
私はそこにはいません
 
私は死んでないのです
 
                   (訳 南風椎)
 
 お葬儀の後、火葬をし、ご集骨をいたします。
ご遺骨は故人を支えてくださった大事なお骨ですから、大切に拾わせていただいたことと思います。
しかし、故人はそのお骨のある、お墓の中にはおられるわけではありません。
まして草葉の陰などにおられるわけでもありません。
 
お浄土という命の故郷で仏となって、「安心して生きてください。いつでも傍にいるのですよ。
どうぞ気付いてください」と、時には風になり花になり、光となって、私たちをその命の故郷に生まれる、
お浄土の道へと導いていてくださっているのです。

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所望する前に煮られしおでんかな

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うちの子供たちはおでんが大好きです。でも、どうも私はあまり自分が好きではないため、作る気にならないのです。おでんって地味だし、何か気分も上がらない感じがします。

 子供たちはたびたび、今日はおでんが食べたいと騒ぎます。そこで、仕方なくリクエストに応えています。何故かと考えてみると、「おでんくん」というおでんの具材たちがたくさん出てくるアニメが大好きなのです。それは、主人公が餅きんちゃくで、たまご、こんにゃく、はんぺんなどが人生を語るという、シュールなお話です。その影響なのでしょう。

 先日の寒い日、「よし、今日もおでんだ」と先手を打ち、昼間からおでんを煮ていました。私としては誇らしげな気持ちでいました。しかし、どうも皆の箸が進みません。そうです。子供は特に飽きっぽいことをすっかり忘れておりました。それ以来おでんをねだられる事はなくなりました。少し悲しい気持ちでおります。

 

築地本願寺に参拝しました!

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11月12日に東京の築地本願寺報恩講に参拝してきました。当日は貸し切りバスに乗って築地まで向かい、お昼は本願寺でお弁当をいただきました。築地場外 市場でお買いものや、雅楽の鳴り響く法要に参拝したりと、今年も内容盛りだくさんの参拝になりました。最後は希望された方だけですが、帰敬式(おかみそ り)を授式され、法名をいただきました。毎年、メインはお買いもののような感じでしたが、それもお寺を楽しむ一つかなと思いました。また来年も皆さんと参 拝したいですね。

 

秋草をサバンナのごと猫の行く

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珍しくもないですが、私はかなりの愛猫家です。十五年以上も前に実家で飼っていた猫の写真を今でも部屋に飾っています。何故か正式な名前がなく、「ねこさん」と呼んでいました。「ねこさん」は私が拾ってきました。昔は今より野良猫が多かったように思います。そして、ある日突然、いなくなり、帰りを待ち続けましたが、二度と戻ってくることはありませんでした。
 
立徳寺の境内にもたくさんの野良猫がやってきます。太っていて、おっとりとした「ねこさん」とは違い、どの猫も目つきは鋭く、身体も痩せています。私を見ても、簡単には逃げません。さすが、肉食類の貫録。草むらを歩く姿はライオンそっくり。
 
先日、境内で、向こうをむいていた野良猫が、私が洗濯物を干しに、外へ出ると、口をぺろりとなめながら、振り返った後、逃げてしまいました。
「今の仕草は何かを食べていたに違いない」
と近づくと、それはトカゲでした。
 
「これ置いてかないでよ」と思いましたが、すぐに蟻が群がっていたので、まぁ安心しました。野良猫には悪いことをしたと思っています。

 

さみだれや万年筆を置く机

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万年筆は私にとって、勝負ペンです。万年筆で書いた時だけ、字が上手だと褒められます。でも、ここ数年インクがきれていたため、使っていませんでした。店頭で見ても、売っていないため、店員さんに尋ねるのが面倒だったのです。そこを先日、思い切って聞き、奥から出してきてもらい、やっと買うことが出来ました。
 
 大学生の時、ある先生が「万年筆を持たない学生はこの講義を受けられません」とおっしゃったのです。
しかも決まったメーカーの物で、決まったインクの色を使わなければならないと。「万年筆は、出席簿を書く時、その人の字の癖が顕著にでるので、代筆が出来ないのです」と嬉しそうに理由をおっしゃっていました。今ならクレームが来そうな話です。丁度、父がその時、その万年筆を持っていたので、それを貰い、二十数年今でも愛用しています。もしあの講義をとらなければ、万年筆を一生手にすることはなかったかもしれません。今は安くて書きやすいペンがいくらでもありますから。
 
 そんなことを思い出しながら、インクを入れた例の万年筆で書いてみると、あら不思議。
 
自分ではないような美しい字に見えます。でも手紙など滅多に書かない時代。万年筆の字が上手などという特技を生かす機会などありません。時代が時代なら「筆美人」と呼ばれたかもしれません。

 

人々の集い皐月の空の下

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先日、小五になる娘の運動会でした。最近の小学校では、春に運動会をするところが多くなっています。温暖化による残暑の厳しさが、理由の一つのようです。
 
それでも、毎年運動会の暑さが増しているような気がします。自分が年を重ね、暑さが身にしみるのでしょうか。
しかも、当日はよりによって今年初の猛暑日でした。そんな日に一日中、校庭にいる暑さというのは、まさに若者の言う「ヤバい」という言葉がぴったりです。
でも、そういう時の対策を私は身につけています。
 
そう、それはオバサン同士のおしゃべりです。普通主婦は、夜にお酒を飲みに出歩いたりしません。
ですから、昼間こそ情報交換とコミュニケーションをはかるチャンス。知っている人を見つけたら、ここで逢ったが百年目とばかりに話しかけます。
 
子供の話や、ちょっとしたうわさ話で盛り上がると、暑さなどすっかり忘れています。
 
しかし、しゃべりすぎたのか、家に帰ると熱中症のような症状が。
しかも娘の写真はどれもピンボケ。娘に怒られてしまいました。

 

もてなしは新茶淹れたることなりし

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先日、娘の家庭訪問がありました。今年の担任の先生は若い二十代の男性です。気のせいかもしれませんが、この前の授業参観で、お母様方は明らかに嬉しそうでした。皆、思うことは同じなようです。
 
さて当日。掃除もし、お湯も沸かし、お茶の準備も万端。でも直前に気温が高いのに気付き、冷茶にすることにしました。どうせ召し上がらないだろうけど、一応、形だけはという気持ちで。そして少し早めに来られた先生に焦った私は、そこら辺にあるコ―スターをつかんで出したのです。先生はいかにも二十代の先生といった感じの黒ぶちメガネにバッチリス―ツで、なおかつ落ち着いた印象。
 
話も尽き、帰られる時、気遣いをされたのか、お茶を飲まれました。その時!コースターの絵があらわになってしまったのです。
 
それは「○斗の拳」という過激な描写やセリフで有名な少年漫画。先生はじーっと見られ、笑顔で「面白い絵ですね」と一言。コースターって意外と目立つものなのだと知りました。

 

握りたる野蒜こぼして来たる道

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先日、娘が友達たちと公園に遊びに出かけていきました。すると片手にいっぱいの野蒜(のびる)を握りしめ、帰ってきました。「ほら、お母さん、野蒜だよ。食べられるんだよ。」と、誇らしげに、テーブルに置きました。たちまち立ち込める葱のような臭い。玄関にも廊下にもたくさん落ちていて、家中がその臭いになりました。聞けば、友達と野蒜取り競争をしていたというのです。
 
 実は私、野蒜を見たのは、これが初めてでした。
 
春の季語だとは知っていましたが、お店に売っている訳ではないし、こういう植物は、誰かに直接教えてもらう以外に、知る方法はないのです。
まさか今どきの小学生たちが知っているとは。
しかも、その子たちはしょっちゅう摘んでいるらしく、慣れている手つきだったと言います。
 
そして、当たり前のようにその場で食べていたというのですから、「たくましい」の一言です。
これからも、娘に色々教えてあげてほしいと思います。

 

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